東京パラリンピックが5日、東京・国立競技場で閉幕した。163の国と地域、難民選手団から過去最多の4405人が参加。新型コロナウイルス感染拡大で無観客での開催となったが、テレビ中継を通じ、障がい者理解促進の契機となった。日刊スポーツの担当記者も取材を通じ、個性や能力の多様性に触れた。

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閉会式で今大会の名場面の映像が流れた。知らなかった世界を見せてもらったとあらためて思う。

東京パラリンピック取材を通じ、初めてボッチャを生で見た。地上のカーリングともいわれるが、頭脳戦はゲーム要素満点。素直におもしろかった。持ち球をビッタビタに目標球に寄せる高い技術に目を見張った。個人金メダルの杉村英孝選手の得意技「スギムライジング」にもしびれた。

特に驚いたのは、最も障がいが重いクラスのペア(運動機能障害・脳性まひBC3)だった。競技アシスタントがつき、「ランプ」と呼ばれる滑り台のような投球補助具を使って投球する。手で投げられず、器具とアシスタントの協力があって初めて成立するスポーツの存在に衝撃を受けた。

どの選手にも、必ずそれぞれの物語があることを初めて体感した。日刊スポーツの記者として約15年間、芸能担当だったが、これほど短い期間にたくさんの色濃い物語に触れたことはなかった。現実の話だけに胸を突くものばかりだった。

ボッチャ・ペア銀メダルの田中恵子選手の競技アシスタントは、母親の孝子さん。見た目はごく普通のやさしそうなお母さんだった。試合後、孝子さんが言った。「私がこのパラの舞台に立てるとは思ってもいなかった。娘がボッチャで頑張るって、東京に出たいと言ったので、私もできることは何とかしようと。2人で頑張ってきたその成果が何とか報われて、少しホッとしています」。二人三脚で頑張ってきた母子の姿に涙がこぼれそうになった。

駅に転落防止のホームドアが続々と設置されるなど、今大会に向けて、街でもバリアフリー化が進んでいることも実感してきた。そして大会は多様性に直接触れる機会になった。共生社会を意識する初めの1歩になったと思っている。

【パラリンピック担当・近藤由美子】