田村藤夫63歳 初めての「ぶら下がり取材」…45歳下DeNAドラ1松尾との3分間

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、プロ野球生活42年の大ベテランが、評論家として初の「ぶら下がり取材」にチャレンジした模様をお届けします。初の試みでトライしたのはDeNA高卒ドラフト1位・松尾汐恩捕手(18=大阪桐蔭)への取材です。

プロ野球

◆松尾汐恩(まつお・しおん)2004年(平16)7月6日、京都・精華町生まれ。川西小1年で野球を始める。精華中では京田辺ボーイズに所属、3年夏ボーイズ日本代表選出。大阪桐蔭では内野手から捕手転向した1年秋からベンチ入り。2年春から4季連続甲子園出場。3年夏の聖望学園(埼玉)との2回戦では2打席連続本塁打を放った。22年ドラフト1位でDeNAに入団。甲子園通算39打数15安打、5本塁打、14打点。178センチ、78キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

難易度の高い取材手法

同じ捕手というポジションとして、田村氏は昨夏の甲子園取材では記者席から大阪桐蔭の松尾捕手を見てきました。そのプロセスから、松尾捕手へのぶら下がり取材になりました。

これまでの3年間の評論家活動では、広報立ち会いでのインタビュー取材を数多くこなしてきました。場数を踏んできた田村氏ですが、実質初対面の若手選手への突撃ぶら下がり取材は、正真正銘初のチャレンジです。

コロナ禍も終わりが見え、取材手法もコロナ禍前に戻りつつあります。対面取材に戻す球団も増え、ファーム取材でも、取材エリア設定、おおよその取材時間はあるものの、それ以外はかなり緩和されました。

小園健太(左)との10代バッテリーで紅白戦に臨む=2023年2月

小園健太(左)との10代バッテリーで紅白戦に臨む=2023年2月

これまではバックネット裏でじっくり試合を見てきた田村氏も、状況に応じて選手取材が可能になりました。とはいえ、移動する選手にその場で声をかけて始めるぶら下がり取材は、声をかけるタイミング、コミュニケーション力など記者にとっても取材力が試される手法です。

田村氏63歳、松尾捕手18歳、45歳の年齢差も含め、どんなアプローチをしたのか。何のアシストもない中で挑んだ取材のひとこまを、是非知っていただきたいと思います。

今永&バウアーの球を受けて

大注目の大物メジャーリーガー・バウアーが登板した4月16日の西武戦(横須賀)の試合後、松尾捕手がたくさんのファンにサインを終えた直後、田村氏は意を決して声をかけました。

田村氏お疲れさま。ちょっと話を聞かせてもらえますか。ここら辺で少し立ち止まっての取材でもいいですか?

松尾はい。

田村氏日刊スポーツの田村と言います。少し話を聞かせてください。

松尾はい、お願いします。

田村氏(この試合の)最後、代打の場面は、ちょっと低かったかな(3ボール1ストライクから、内角低めの直球を遊直)。

本文残り66% (3204文字/4862文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。