【大荒れからの大脱出】真の根尾昂を見抜けていなかった自戒 最後の最後に成功を願う

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、3月末にナゴヤ球場で行った中日の浅尾拓也2軍投手コーチ(38)、根尾昂投手(22=大阪桐蔭)への取材から、現状で感じた部分をまとめました。

プロ野球

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

頭部と左肘に死球 青ざめた顔

根尾はピッチャーとして成長過程にあり、制球を乱す不安を完全に払拭(ふっしょく)できずにいます。2月の沖縄・読谷2軍キャンプでは、フリーバッティングに登板する根尾を見に行きましたが、そこにはコントロールに苦しむ根尾の姿がありました。

そこから1カ月強の短期間を経て、3月下旬にはウエスタンリーグで投げられるまでに調整は進みました。しかし、その直後の4月上旬には、再び試合で制球を乱します。ウエスタンリーグで3四球を出し、また自分のフォームと向き合う日々を送る最中にいます。

物事は一足飛びに進まないのも現実です。しかし、一進一退のなかでも、私はこれまで気づかなかった根尾の潜在能力のスケールを、思い知った気がしています。


2月上旬、キャンプが始まったばかりの頃だった。ああ、これはどうなってしまうのか、私は根尾がコントロールを乱す姿を見て、暗たんたる気持ちになった。

フリーバッティングに登板して、堂上に対しては投球が頭部付近へ。続く福田には左肘にぶつけてしまった。「すいません」。帽子を取り謝る根尾の顔は、私の目には青ざめていたように見えた。

ぶつけてしまったチームメートへの申し訳なさもあっただろうが、自分のピッチングにショックを受けたからだろうと、私は感じた。

見かねた山井コーチがマウンドに行き、根尾に早めに切り上げるか意思を確認したが、根尾は「大丈夫です」と答えた。

私には強がっているようにしか見えなかった。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。