神山雄一郎が函館競輪で通算900勝を達成して表彰される=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
神山雄一郎が函館競輪で通算900勝を達成して表彰される=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介

競輪界が誇るレジェンドが、また1つ勲章をつかんだ。神山雄一郎(55=栃木)が、3日の函館F1初日S級予選8Rで1着。史上16人目、現役では最多の通算900勝を果たした。S級が創設されたKPK制度の発足以降にデビューし、36年目を迎えてのメモリアル達成になった。S級では、この白星を含めた835勝を最多16度のG1制覇などで飾っており、不世出の大記録だろう。

函館F1初日S級予選8Rのゴール前。赤3番車の神山雄一郎が白1番車の蕗沢鴻太郎を交わしにかかる=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
函館F1初日S級予選8Rのゴール前。赤3番車の神山雄一郎が白1番車の蕗沢鴻太郎を交わしにかかる=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
函館F1初日S級予選8Rのゴール寸前。赤3番車の神山雄一郎が目いっぱいハンドルを投げて勝った=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
函館F1初日S級予選8Rのゴール寸前。赤3番車の神山雄一郎が目いっぱいハンドルを投げて勝った=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介

『語り継がれるレジェンド』と題した今回は、神山をよく知る2人が登場する。

穴田裕哉氏(ひろちか・56)は、神山と競輪学校(現・選手養成所)の61期同期生で、入校からもうすぐ40年近い付き合いになる。現役当時はS級でガッツにあふれたマーク屋として活躍し、その傍らで、神山が「年が1つ上でもあり、兄のよう」と慕うように、大けがへの対処など公私にわたって相談にも乗った。A級2班だった07年1月に引退し、現在は競輪選手会函館支部の事務を担当している。

勝利者インタビューでは涙声になりながら心境を明かした=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
勝利者インタビューでは涙声になりながら心境を明かした=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
函館F1を戦い終えた神山雄一郎(右)が北海道61期の穴田裕哉氏(左)、藤田篤氏とともに祝勝会を開かれて楽しんだ=穴田裕哉氏より提供
函館F1を戦い終えた神山雄一郎(右)が北海道61期の穴田裕哉氏(左)、藤田篤氏とともに祝勝会を開かれて楽しんだ=穴田裕哉氏より提供

穴田氏は、蕗沢鴻太郎の先行をゴール寸前でかわす逆転劇や、インタビューで899勝までと違い、約3カ月半も勝てなかった心境を涙ながらに話す様子をスタンドから見つめた。

「前検日の昼前に、飛行場(函館空港)に迎えに行ったんだよ。神山はジーパンにジャケットを着て、いつもの笑顔。服は高そうじゃない。ほんとに普通の人って感じ。自転車の他はこだわりがないんだろうね。函館で900勝を決めるぞって、気迫とかも感じられなかった」。

宇都宮G32日目選抜2Rは黄5番車の牧剛央が大外を伸びて1着。青4番車の神山雄一郎は3着に敗れた
宇都宮G32日目選抜2Rは黄5番車の牧剛央が大外を伸びて1着。青4番車の神山雄一郎は3着に敗れた
直前まで惜敗が続いた。宇都宮G3ではこの2日目2R、3日目4Rともに選抜3着が最高着だった
直前まで惜敗が続いた。宇都宮G3ではこの2日目2R、3日目4Rともに選抜3着が最高着だった

「こっちは最近のレースを見ていて、なかなか勝てないものだから、ずっと胃が痛くて胃薬を飲んでいた。それが治ったよ、勝った途端に。インタビューを見てたら泣けたね。じ~んときた。神山は函館といえば、ふるさとダービーで優勝したり、800勝を飾ったり。大地震(東日本大震災・11年3月)の時は1カ月ぐらい、家族みんなで避難した土地だしね。北海道には同期が5人いて、安心なのかも。思い入れのあるバンクで決められて良かった」。

88年5月に98人でデビューした61期生は、16人が現役を続けている。

「神山は絶対に人の悪口を言わなかったね。勝っても負けても。年上にも年下にも、さりげなく気をつかう。同期はみんなファン、好きだよ。今度どこかで表彰のイベントがあれば、何人もの同期が集まってお祝いしようって。佐藤晃三(引退・千葉)や川越義朗(引退・神奈川)、高田健一(引退・徳島)とか、すぐに連絡がついたんだ」。

穴田氏は、野球WBCで日本代表が優勝を決めたシーンを思い起こす。投手に野手にと大車輪で活躍した大谷翔平と、神山の姿をオーバーラップさせる。

「WBCで優勝して、マウンドの大谷が帽子を投げて喜ぶシーンがあったじゃない。あの純粋に野球に打ち込む思いが、神山の競輪への思いと同じかなって。ただただ1着を取りたい、勝ちたいって積み重ねが900勝になった。ひとつのことに集中できる。たとえば会社を起こしても、成功するよね」。

函館F1の全日程が終わった夜に、やはり同期の藤田篤氏(引退)らもまじえ、同市内で祝勝会が開かれた。神山はその直前に、JKAから打診された宇都宮F1(11~13日)の追加参戦を即決している。「今度の宇都宮は気楽に走れるかも」と、先のG3と違い、力みのない走りで901勝への道筋を思い描いた。穴田氏は、宴席では屈託のない笑顔で冗談を言い、つかの間のひとときを過ごす大親友の今後を思いやる。

「引退すれば気が楽になると思うし、オレも楽になってもらいたいと思うけど、まだまだ頑張るでしょう。次はS級最年長優勝を決めてもらいたいんだ」。

通算900勝達成に右手を掲げてファンに応える=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介
通算900勝達成に右手を掲げてファンに応える=撮影:トータリゼータエンジニアリング(株)降旗慎之介

黒崎直行(57=栃木57期A級2班)は、レジェンドが強さを保つ秘訣(ひけつ)を間近で見てきた。宇都宮ミッドナイト(4~6日)の前検日に、選手宿舎で偉業を見ては「良かったね、決められた。記念の時と違って、最終ホームから余裕があったように見えた」と復調気配を感じ取った。そして、「この姿は神山らしい、かっこいい」と言って、右手を掲げてファンに応える写真を眺めた。

黒崎直行が苦楽をともにする神山雄一郎の偉業を祝福する
黒崎直行が苦楽をともにする神山雄一郎の偉業を祝福する

かつては数少ない関東の機動型として、S級1班にランクされ奮闘した。神山の全盛期からお互い50歳半ばを過ぎる今まで、行動をともにしてきた。一緒のG1出場は90年7月全日本選抜に始まり、初制覇の93年9月オールスターを含め、20度を数えた。他にG3はもちろん、KEIRINグランプリ開催に何度も同時にあっせんされた。日ごろのバンク練習は元より、宿舎や控室でもその様子を見てきた。

「神山は競輪への思いがすごい」。一連のルーティンを明かす。練習は主に自宅でローラー台で乗り込み。年頭からは、目の前のモニターに映る他の人とともに世界中の道を走り抜ける『Zwit』を取り入れた。ローラー台を降りれば、体を休めながらも競輪のレース画像に見入る。それはS級からチャレンジばかりか、ガールズまで全て。自身が走ったレースは、対戦相手の動きがどうだったか調べるため、何度も。

レジェンドが作新学院高から乗り込む宇都宮バンク
レジェンドが作新学院高から乗り込む宇都宮バンク

ランクや地区、年齢にかかわらず、動きがいい選手や、気になる選手には出会った際に練習法や使う部品などさまざまなことを尋ねる。実際に試し、試行錯誤を繰り返す。黒崎は函館のゴール写真を見やり、「サドルの角度を下げたこともあったが、今では上げている。太ももの裏やお尻を効率よく使おうと考えているんだろうね」と分析を続けた。

自宅や開催中にヒントを得ると、宇都宮バンクで他選手と乗り込み、そのヒントが正解かチェック。そして、実戦に挑む。レースの合間は検車場で他選手の自転車をつぶさに見て回ったり、体をケアしたりと時間を割く。「水素水を飲んだり、体に電気治療器で刺激を入れたり。最終日も同じ。遠い競輪場から帰るときも、しっかりクールダウンする。飛行機に間に合うぎりぎりまで。レースの反省も欠かさないし、時間がたてば気持ちを切り替えて次へ」。

神山雄一郎とは、レジェンドとは!? まだまだ伝説やエピソードを作るその姿を、もっともっと追いかけていきたい。【野島成浩】

思いは栃木の次世代レーサーに継承されていく。先の宇都宮G3は真杉匠が初制覇。神山雄一郎が制して以来、14年ぶりに地元に優勝をもたらして歓声に応える
思いは栃木の次世代レーサーに継承されていく。先の宇都宮G3は真杉匠が初制覇。神山雄一郎が制して以来、14年ぶりに地元に優勝をもたらして歓声に応える