プロフェッショナルレフェリーでJリーグ担当審判員の家本政明氏(48)が、今季限りで国内トップリーグの担当から勇退する。広島県出身で02年からJリーグ担当となり、リーグ戦では歴代最多515試合で主審を務めた。国際審判としても10年に日本人で初めてサッカーの聖地ウェンブリー(国際親善試合イングランド-メキシコ戦)で笛を吹き、W杯アジア予選なども裁いた。

信条は「最小の笛で最高の試合を」。今季はJ1の主審として21試合に出場し、出したイエローカードはわずか24枚。1試合平均1・14枚は、福島孝一郎主審の0・43枚に次いで2番目に少なくなっている。選手や監督から異議を受けたことで出した警告は0。笑顔でコミュニケーションを取る姿は印象的で、選手が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、同じピッチで汗をかき、「黒子」として試合を円滑に進めている。

かつてはカードを乱発するなど、いい印象を持っていなかったサポーターも多いかもしれない。初めてJ1主審を担当した04年から出したレッドカードは年間6、8、7、8枚。06年にはJ1リーグ戦14試合で71枚のイエローカードを出し、1試合平均は同年のJ1主審最多となる5・07枚、同最多7人を退場させた。 さらに08年のゼロックス杯鹿島-広島戦ではPK戦で3度の蹴りなおしなど、そのジャッジが混乱を招き、イエロー11枚、レッド3枚。試合をコントロールできなかったとして、審判委員会から担当割り当て停止処分も科された。

だが、その後は「最小の笛で最高の試合を」と言うようにカードを出す場面も減少。17年以降は1試合平均警告を5年連続で1枚以下にとどめる。20年7月のJ1川崎F-湘南戦は象徴的で、無警告試合だった上にファウル数(直接FK数)はリーグ史上2番目に少ない10回。その笛でプレーが途切れることはほとんどなく、アクチュアル・プレーイング・タイム(実際のプレー時間)はJリーグ最長レベルの65分に達した。

もちろん、大ケガにつながるような危険なファウルに対しては毅然(きぜん)とした態度でカードを掲げる。初めてJリーグ(J2)の主審を務めた02年から20年目でリーグ戦最多出場記録を更新した。11月27日のJ1第37節では地元広島で行われた広島-東京戦(Eスタ)で主審を務め、「試合前に広島さんからビッグサプライズがありました。なんと僕の母を招いてくださって、卒業セレモニーまでしていただけたことは生涯忘れることはありません」と自身のSNSで報告。Jリーグの名物審判としてクラブ、サポーターからも愛される存在になった。

今季のJリーグは残り1節。勇退発表時には「今シーズンをもちまして、『審判 家本政明』を卒業する運びとなりました。最後の笛を吹くその時まで、選手、スタッフ、ファン・サポーターの皆さまと誠実に向き合い、サッカーの魅力をより高められるよう全力を尽くします」とコメント。自身のSNSでは「これまで以上に黒子に徹します」とも記していたが、最後の笛を吹き終えたその時は、審判が「主役」になってもいい。

【石川秀和】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「データが語る」)


 ◆家本政明(いえもと・まさあき) 1973年(昭48)6月2日、広島県出身。96年に1級審判員となり、02年からJリーグ担当。05年に史上6人目、最年少の31歳でスペシャルレフェリーに認定され、16年まで国際主審を務めた。副審としてもJ1とJ2でそれぞれ通算3試合。


〈家本主審のJ1年度別カード数〉

年度 試 警(平均)退

02年 0 0(--)0

03年 0 0(--)0

04年 14 60(4.29)6

05年 21 96(4.57)8

06年 14 71(5.07)7

07年 17 55(3.24)8

08年 15 47(3.13)4

09年 15 33(2.20)1

10年 18 42(2.33)2

11年 21 57(2.71)3

12年 19 61(3.21)6

13年 21 49(2.33)2

14年 22 69(3.14)4

15年 18 40(2.22)2

16年 21 54(2.57)1

17年 20 17(0.85)2

18年 18 25(1.39)1

19年 23 37(1.61)2

20年 19 22(1.16)0

21年 21 24(1.14)1

※05年4月28日の名古屋-東京V戦は後半から村上伸次主審に交代。家本主審は前半に警告2枚、村上主審は後半に5枚。


〈Jリーグ主審通算最多出場記録5傑〉(J1、J2、J3)

515 家本政明(337、176、2)

505 村上伸次(306、196、3)

502 吉田寿光(338、164、0)

502 西村雄一(352、147、3)

473 松尾 一(334、136、3)

※11月30日現在