キング・カズが11年ぶりに日本サッカーの聖地、国立のピッチに立った。カズと国立。そこに説明は不要だろう。
10月9日に行われた日本フットボールリーグ(JFL)第24節、クリアソン新宿対鈴鹿ポイントゲッターズ。後半31分から出場し、大声援を浴びた。
この日の観衆は1万6218人。JFLの史上最多観客動員記録を大幅に更新した。多くのメディアが集まり、話題はカズ一色となった。
だが、この一戦を成功させた“勝者”こそクリアソン新宿だった。
■国立周辺に新宿のにぎわい
巨大な国立競技場の舞台裏では、丸山和大社長(38)は安堵(あんど)の表情を浮かべていた。
「イベントとしては、1万6000人も集まってくれたのは率直にうれしい。サッカーを見たことのない人たちも多数、新宿の地域からも来てくれた。そういう人たちが前向きに楽しかったよ、って生で聞かせてもらえた。試合結果(0-1で敗戦)は悔しかったんですけど、意義ある試合をすることができた」
この一戦は「新宿の日」と銘打ち、国立競技場の周囲には、新宿にある企業や飲食店などが28ものブースを出した。午後1時キックオフの試合を前に、午前中から多くの家族連れでにぎわった。
国籍、ジェンダーなど多様性を持つ新宿という街で、サッカーだけでなく、地道に社会活動を展開してきた。そんなクラブの真摯(しんし)な姿勢に共感し、応援する人は多い。
「新宿という人も金もすごく集まってくるところで、本当に思いを持ってチャレンジすると、たくさんの方がこうやって仲間になってくださって、本当にこういう機会があるというのはすごく可能性だなと思いました」
■採算も意識し、黒字収支に
JFLに参入して1年目。新参クラブが日曜日の国立で公式戦を開催することだけでも驚きだが、1万6218人もの観衆を集めたことに目を見張った。
気になる採算面に少し触れておくと、開催経費として3000万~4000万円かかったが、収支は数千万円の黒字になる見通し。企業の協賛金、チケット収入が大きかったようだ。
観客席は1階だけの使用だったが、そこはほぼ埋まっていた。チケットは、大人が2000(ゴール裏)~6000円(SS指定)、中高生が1000円(ゴール裏)~6000円(SS指定)、小学生は無料(ゴール裏)~6000円(SS指定)。なお新宿区内の小学生には無料券を配り、うち1000人ほどが観戦に訪れたという。
入場者の9割が有料チケットだった。「無料で2万人、3万人という考え方もあると思うんですけど、国立でやる意義とか、新宿にあるクラブのチャレンジって何なんだろうって考えた時に、そこの採算みたいなところも意識してやった。当然我々だけでなく、鈴鹿さんとか、国立さんとかの力があってだと思うんですけど、すごく意味のある数字になったと思います」。
クリアソンは一体どうやって、どういう思いをもって、国立開催を成功させたのだろうか。
■本拠地新宿区にある「聖地」
シーズン開幕前の3月、新宿区にある聖地での公式戦開催を思いついた。
「新宿のみなさんに見ていただきたいのが率直なオーダー」(丸山社長)。その言葉通り、最初にカズのいる鈴鹿戦があったわけではなく、本拠地新宿区にある世界的スタジアムで、地元の人に楽しんでもらいたい。その一心だった。
最初は夢物語。だが、思いは行動に移った。すぐに東京都サッカー協会や、国立競技場を運営する独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)に相談。使用可能な候補日程から協議を繰り返した結果、10月9日の鈴鹿戦が決定した。図らずもカズの“聖地降臨”というストーリーも出来上がった。
余談だが、国立競技場の使用料はどれほどなのだろうか。J1のFC東京が使用した際は1500万円と言われているが、今回の開催はアマチュアリーグゆえに数百万円で収まったという。
国立の使用料金についてJSCに問うと「必要な基本利用料に加え、観客の入場者数や広告掲出数など、数量によって変動する利用料があります」。その説明通り、イベント規模によって使用料は大きく異なるようだ。
クリアソンが国立開催を世に公表したのは、5月16日。そこから4カ月、運営スタッフは駆けずり回った。このピッチに立ったFW原田亮選手は、クラブ運営会社の執行委役員。営業担当としても奔走し、特別な思いでこの日を迎えた。
「今、我々で90社くらいいるパートナーがほとんどの方がチケットか、協賛という形で参画いただいて、その人たちなくしてこんな大規模なことはできなかった。本当に皆さんが、まだまだ未熟者の我々に期待を先にかけていただいて、実現したのを感じました」
イベントとしては成功した。ただ一方で、さまざまな運営の課題も浮き彫りになったという。そもそも関東リーグを戦った過去2年間は、コロナ禍で無観客試合だった。有観客試合は今季が初めて。そのホーム開幕戦(対FC神楽しまね、0-1負け=駒沢)でも2603人だ。ここまで観客動員の平均は600~700人。3ケタが一気に5ケタの動員となったのだから無理もない。
「正直、国立とか、カズさんという名前を借りないと、まだまだ我々の知名度が上がっている状況ではないので、今日からの方が大事ですね。1回は(サッカーに)触れた、目にしたという方々がこのまま興味持ってくださるかというのは、かなり遠い話だと思います。ここからですね」
そう言って、選手兼運営の二刀流男は笑った。
■サークル出身で国立ピッチ
さまざまな対応に追われ試合を見る余裕がなかった丸山社長だったが、ある光景を見て感慨に浸った。
ふとピッチに目をやると、途中出場でMF大和田歩夢選手(27)が立っていた。体育会でなく大学のサークル出身で、東京都リーグから戦ってきたメンバーだ。
「河川敷(のグラウンド)から国立競技場でボールを蹴るまでのプロセスとか、その間に我々のストーリーに共感して応援してくださっている方々とか。本当に点で捉えた国立競技場という話ではなく、都リーグ時代からの積み上げの先にあるJFLでの国立での試合。特別なものがありました」
クリアソンの歴史をひもとけば、2005年にサークル出身の丸山社長が自らプレーするべくチームを創設したことが始まり。09年に東京都社会人リーグに参加し、13年に運営会社を創業。19年に関東2部で優勝、21年に関東1部を制し、全国地域サッカー決勝大会でも優勝。JFL最下位だったFC刈谷との入れ替え戦に勝利し、今季からJFLを戦っている。
そして丸山社長から名前が出た大和田選手は、茨城・水戸商から中央大に進学。体育会はなく「体同連フースバルクラブ」というサークルでプレーした経歴の持ち主。自らを「雑草」と例える。
この日も後半途中から2列目に入ると、積極的にゴールに向かって仕掛けるプレーを繰り返した。
「そもそも国立がどういうところなのかイメージがわかず、ひたすらワクワクしてました。ただ性格的にお祭り男なので、多くの人に見てもらえた方が力が出ます。それでもいざピッチに入ってみると全然違って、広く見えました」
大学時代の同期が数十人規模で、全国各地から応援にやってきたという。北は北海道から南は沖縄まで。一度は上を目指すサッカーをあきらめたが、大学のサークルでサッカーの魅力に取りつかれ、心に火がついた。卒業後も地道にプレーを積み重ねてきた結果、まさかまさかの国立の舞台にたどりついた。
「僕がプレーすることでほかの人に勇気を与えられるとか、何か頑張ろうって思ってもらえるとか、そういうためにやっているのが正直なところ。僕の思いを多くの人に伝えたいので、これからもっと多くの人に見てもらいたい」
そう言って笑顔を見せた。
■猪木さんが大事にした「道」
サッカーにはいろんな可能性がある。想像できなかった夢が、誰かと共有し、一緒に育てていけば現実となることだってある。そこに道は生まれる。
祭りを終えた静寂のスタジアムを見ていると、ふと、ある詩が頭の中に浮かんだ。
「この道を行けば、どうなるものか 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし 踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる 迷わず行けよ、行けばわかるさ」
先日亡くなった「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが大事にしていた詩の「道」だ。筆者自身、9年ほど前にインタビューの席に立ち会ったことがある。まさしく夢を語る勇者だった。
大小問わず夢を持つことはいい。夢があるからこそ、人は明日に希望を持つ。カズと国立の舞台裏で、あらためてそう思った。【佐藤隆志】