「ヘアードライヤー」
こう呼ばれたのはマンチェスター・ユナイテッドの元監督で名将として名高いアレックス・ファーガソン氏だった。
■真っ赤な顔を近づけまくしたてる
27年間に渡って名門クラブを指揮し、在任中にプレミアリーグ13回、UEFAチャンピオンズリーグも2度制している。規律に厳しく、自身への批判的な態度は許さない。ロッカールームでベッカムの顔にスパイクを投げつけ、退団のきっかけとなった。
激高するとヘアドライヤーのごとく選手の顔に接近し、顔を真っ赤にして「ブオーッ!」と音を立てんばかりにまくしたてる。吹き飛ばされんばかりの圧力に髪はなびき、顔がゆがむ。この光景を表現したのがヘアードライヤーだった。
そのファーガソン氏に質問したことがある。2008年のクラブワールドカップで日本にやってきた時の会見だった。威厳あふれる強面(こわもて)に気おされたが、ここは「千載一遇のチャンス」と意を決し、クリスティーアノ・ロナウドについての質問を投げかけた。飛ぶ鳥落とす勢いの若者が初めてのバロンドールを手にするか、世界中の誰もが注目していた。
「赤鬼」。怖い人のイメージがあったが、それはただの印象に過ぎなかった。
ロナウドという若者像、そして選手としての可能性について聞くと、笑みすら浮かべながら自身の見解を教えてくれた。AP通信はすぐにファーガソン氏の言葉を使い、「ロナウドはこの先10年、世界のトップに君臨する」と世界に向けて報じていた。ファーガソン氏の快い対応に胸がはずんだ。
会見やインタビューを通して、人づてに聞く人間像でなく、その人の素顔を感じ入る。そこで抱いていた印象と異なることもあれば、まさにイメージ通りの人だと実感することがある。サッカー日本代表の森保一監督は「まさにイメージ通り」だった。
■腑に落ちない質問に少し気色ばむ
3月21日、ワールドカップ(W杯)北中米大会アジア2次予選で北朝鮮に1-0と勝利した直後の会見だった。この冬から“第一線”の現場に舞い戻った筆者にとって、日本代表の会見に出るのは2010年のW杯南アフリカ大会以来。久しぶりに見る代表監督の会見だった。
もともと森保監督には「穏やかな人」という印象を抱いていた。その穏やかな人が会見中、少しだけ気色ばむ場面があった。
戦術的な質問を受けた時だった。腑(ふ)に落ちない様子は誰の目にも明らかだった。すかさずこう発した。
「質問してもいいですか? 以前の戦術的なところと今日のやったところの違いは分かりますか?」
その記者への逆質問だった。一瞬、会場に緊張が走った。慌てて弁解しようとする記者の声が響く。少し間を置くと再び、森保監督が言葉を発した。
「分かりました!」
会場の空気は一瞬にして和んだ。
森保監督は自分なりの考えを柔和な顔つきで丁寧に答えた。
■「面倒見が良くてすごくいい人」
自戒を込めて言えば、メディアは時にして「釈迦(しゃか)に説法」となることがある。感情的になりやすい監督なら、すぐさま「ヘアドライヤー」を発動し、当事者を厳しく論破していたかもしれない。
だが森保監督は見解の異なるものもすべてのみ込み、同じ目線から真摯(しんし)に答えようとしていた。さまざまな立場を慮(おもんぱか)る利他の精神。過去に見た代表監督にはないものを感じた。
ふと35年も昔の記憶がよみがえった。サッカーをやっていた学生時代、長崎からやってきた後輩が話していた言葉を思い出した。
「僕の高校の先輩が日本リーグのチームで頑張っているんです。その人はすごく優しくて、面倒見がよくて。すごくいい人なんで、みんな尊敬していました」
そのプレーよりも、人柄の良さを強調していたことが印象的だった。当時は「何者」でもなかったその人物が、数年後にマツダの森保選手だと知ることになった。日本代表にまで上り詰め、その存在は広く知られるようになっていた。以来、同じ年齢ということもあって親近感を覚えていた。
■「選手を褒めてやってください」
齢を重ねても「根っこ」は変わらない。会見での森保監督は、相手への敬意をしっかりと口にした。その上で1-0の最少スコアながら、目的とした勝ち点3を手にした選手たちをたたえた。
後半の押し込まれる状況にあって、アジアカップの時のように失点することなく、たくましく守り切れたこと。その中で途中出場の選手が、与えられたタスクを全うしたこと。
繰り返し「選手たちを褒めてやってください」。
筆者も最後に質問する機会に恵まれた。完封勝利を収めたことで、GK鈴木彩艶選手やDF陣についての評価をたずねた。変わらぬ丁寧な口調で、こんなコメントを返してくれた。
「GK、DFラインとカタールW杯と比べると経験値が低い中でこれまで戦ってきて、一足跳びでの安定はなかなか難しい。1つ1つ厳しい試合の経験を経て、選手たちは確実に成長しているなというのを、結果を持って示してくれた。それが今日の選手たちのプレーかなと思います。まだまだ改善すべきところはありますが、これから彼らがチャレンジしながら厳しい戦いを経て成長していくことを、監督として楽しみにしています」
森保監督にヘアドライヤーは似合わない。
断っておくが髪の話ではない。【佐藤隆志】