新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。

生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。

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遅咲きの2人の“プラチナ”が開花する瞬間を見た。まずは17年12月。FW伊東純也(27=ゲンク)が当時所属した柏での活躍を評価され、初めてA代表に入った。それから2年後の19年12月。同い年のFW仲川輝人(27=横浜)もクラブでの活躍をきっかけに伊東と同じ東アジアE-1選手権で日の丸を背負った。

プラチナ世代。MF小野伸二や稲本潤一、FW高原直泰らのいた79、80年生まれの黄金世代を超える代として92、93年生まれの選手たちにつけられた呼び名だが、2人にとっては身近なようで遠い言葉だった。小、中学生の頃から注目され、その名をこの世代に引き寄せたのはMF宇佐美貴史(G大阪)や柴崎岳(デポルティボ)ら。一方で仲川は川崎Fの下部組織からトップ昇格を果たせず専大へ、伊東も中学進学時に横浜ジュニアユースのセレクションに落選。公立高校の部活動を経て神奈川大に進学するなど、ともに年代別代表とも無縁の時を過ごした。仲川は19歳でドイツの名門バイエルン・ミュンヘン入りを果たした宇佐美らについて「先を越されているな、負けられないなという感じで見ていた」と語っている。

遠く感じていたエリート組の存在だったが、ともに大卒でプロ入りすると、徐々にその距離を縮めていく。伊東はプロ2クラブ目の柏で右サイドからの鋭いドリブルやアシストで存在感を強め、19年2月にベルギー1部ゲンクへ移籍。「いつかは行ってみたい場所」と語っていた海外の舞台で、同世代では宇佐美、宮市に続く世界最高峰の欧州CLにも出場。帰国後に感想を聞くと「スピードだけじゃ抜けない。緩急をつけたり、学ぶことが多かった」。出国時に「おばあちゃんから『まだ日本で見たい』って言われた」と後ろ髪を引かれるような思いを吐露していた姿はもうなかった。

横浜に加入した仲川もついに覚醒した。特に注力したのは体作り。プロ入り直前に右膝全十字靱帯(じんたい)断裂などの大けがを負うなどした経験から、小柄な体格のハンディを補うために18年シーズンは開幕前からマシンで体重よりも30キロ重い負荷をかけて筋力トレーニングを続けた。「もうけがはしたくない」。スタメンに定着して出番も多くなった19年は足にテーピングを巻く姿もよく見られたが、「毎日行ってます」と練習後はメディカルルームにこもり、誰よりも長くマッサージや電気治療などを受けてコンディション維持に努めた。その末につかんだ昨季のJリーグMVP&得点王。横浜を15年ぶりのリーグ優勝に導き、A代表にも初選出。「今が人生最高の状態。ドリブルしても相手がゆっくり見える」。地道な努力でたどり着いた境地だった。

この世代は22年ワールドカップ(W杯)カタール大会をキャリアの集大成とも言える29、30歳で迎える。伊東は「自分はまだ当落線上」と話し、仲川も「常に呼ばれるような結果を継続して出さないといけない」と立場は自覚している。さらなる磨きをかけて、次は大舞台で躍動する姿が見たい。【松尾幸之介】