2004年アジア杯は、日本代表の2大会連続3度目の優勝で幕を閉じた。ただ、大会が開かれた中国国内では反日行動が激化し、スポーツと政治が絡み合う大騒動にまで発展した。担当記者が振り返る。

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あの騒ぎは何だったのだろう。サッカーのアジア杯での中国人による反日行動である。試合で日本代表に激しいブーイングを浴びせ、日の丸を燃やし、選手を乗せたバスに投石した。この騒動に日本政府も反応した。駐日大使との会談で小泉首相が「スポーツマン精神で」と発言。政治問題にも発展した。

確かにスポーツにおけるフェアプレーの精神と、国際友好は理想であり、基本理念でもある。中国人たちの暴走はいささか度が過ぎてもいた。しかし、国際大会の現場を取材すれば分かる。スポーツは国と国の戦いである。特にサッカーにはその色が強く表れる。大会で日本が中国の最大のライバル国だったことや、中国人の根強い反日感情を考えると、一連の騒動は十分に想像できた。

アウエーの戦いとなった99年10月の五輪最終予選カザフスタン戦では、日本に割り当てられた練習グラウンドに雑草が生い茂っていた。パリで行われた01年3月のフランス戦では練習後の選手移動バスに石が投げられた。97年のW杯予選で日本はアウエーに水や食材を持ち込んだ。上品に「フェアプレー」や「国際親善」などうたっていては勝てないのだ。

海外でのボクシングの世界戦はもっとひどい。空港からホテルまで車で30分ほどの距離を2時間以上も連れ回されたり、厳寒の会場で控室の暖房が切られたという話を世界に挑戦した日本人ボクサーから聞いた。今では相手国の裏工作を警戒して計量用の体重計まで日本から持ち込むことも珍しくない。

中国人の反日感情を肌で感じたことがある。90年の北京アジア大会を取材したときのことだ。体操会場での取材が長引き、報道陣用のバスに乗り遅れた。タクシーを拾うために街に出た。ところが、手を上げても私が日本人だと分かると露骨に乗車を拒否された。仕方なくバス停に並んだが、到着するバスの行き先を英語で尋ねても誰1人答えてくれなかった。会場や宿舎の係員の友好的な対応が、初の国際大会のために特別訓練されたものであることを痛感させられた。

今回の騒動に日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは静観を貫いた。日本代表選手たちも中国のファンに笑顔で対応し続けたという。それで良かったと思う。むしろ騒動が政府レベルで語られるようになってから、状況は悪化したように思う。小泉首相の要求に対して、中国側は「マスコミの過剰反応が政治問題に結びつけた」と応酬した。

心強かったのはそんな悪条件下で日本代表が優勝したことである。日本を代表する今の若者は、周囲のけんそうやプレッシャーに左右されることが少なくなった。国際舞台での豊富な経験があるからだろう。ここ一番で自分の力を出し切る集中力がある。アテネ五輪で金メダルを獲得した直後の北島の「ちょー気持ちいい」の発言には、重圧や緊張感をも力にしてしまう強さを感じた。4年後は北京五輪。政府が心配する反日感情やブーイングに負けるほど、主役たちはやわじゃない。【首藤正徳】