2年連続で決勝進出を決めた強豪前橋育英(群馬)の戦いぶりの中で、ひときわ目を引く場面があった。5-1で試合の大勢は決まっていた後半43分、ベンチでMF釣崎椋介(3年)が山田監督から呼ばれた。

 その時、点差は4点。しかも、味方のシステムを見て釣崎は思った。「塩沢が低めにポジション取っている。長いボールが多くなる。今日も出番はないかな」。今大会、まだ出場がなかった。緊張の糸がゆるくなっていたのは確かなようだ。

 突然、山田監督の声が響く。「着替えろ、早くしろ」。その瞬間、釣崎は「テンパリました」。慌ててビブスを脱ぐ、そして肝心の山田監督に交代の指示を聞くのを忘れて第4の審判のもとへ直行。本来なら監督から詳しく交代の狙いを聞いてから、第4の審判の元へいくはずが、慌てた釣崎は完全に頭が真っ白になっていた。

 山田監督が怒り出す。「私は怒っていたんです。釣崎が、誰の交代で、どのポジションなのかを、私に聞かずにピッチに入ろうとしまして」。試合後、苦笑いの山田監督はその様子を思い出しながら詳しく説明してくれた。「何のために出るのか、聞かないものですから。私、カリカリしてしまって」。

 一方、若干記憶が飛んでしまった釣崎も、監督の形相に「本当に怒ってるな」とびびりまくる。山田監督の手が、心臓付近に飛んできた。トントン、トントン。「4回、胸のあたりをたたかれて。確かにそのあたりの記憶はあまりないんですが、その4回は覚えていて。その4回のトントンで、落ち着いた感触はよく覚えていて…」。

 無我夢中の釣崎は、訳も分からず巡ってきた出番に我を失い、そして山田監督とのやりとりで再び自分を取り戻してピッチに入った、あこがれの選手権、あこがれの埼玉スタジアムのピッチに。

 それから3分後、釣崎は6点目を奪った。「何も覚えてないんです。気が付いたらキーパーがいなくて、ああ、あとはゴールに入れるだけだって。でも、それ以外はあんま、覚えていなくて。スタンド見たら、歌を歌ってくれる仲間が喜んでくれていて、それで、ああ、点を取ったんだって。僕はそういう点を取るタイプじゃなくて…、点を取れてしまって…」

 心なしか、スタンドの仲間の話をする釣崎の目は潤んでいるようだった。ただし、釣崎のゴールをスタンドの仲間と同じように喜んでいたのが、実は怒っていた山田監督だった。「彼は広島からやってきて、頑張る選手。チャンスがあればって、思ってたもんでね」。そう言いながら、うれしそうにちょっとだけ笑った。

 前橋育英は、昨年の決勝で青森山田の前に0-5で完敗した。その悔しさを胸に、1年間戦ってきた前橋育英の本当の戦いは8日の流通経大柏との決勝に凝縮される。その大一番を前に、前橋育英で試合に出るために必死に努力してきた釣崎の、忘れられない選手権初出場が達成され、初得点がマークされた。

 その瞬間、瞬間で、スタメンもサブのメンバーも高校サッカー生活をかけて戦っている。名門の大勝の中に、ひとつのドラマを見ることができた。