4月に就任したガンバ大阪の小野忠史新社長(58)が、日刊スポーツの電話取材に応じた。高校球児としてPL学園時代には、夏の甲子園で全国優勝した異色の経歴の持ち主。新型コロナウイルス問題の真っ最中に就任したが、持ち前のバイタリティーや人脈を駆使し、夏のJリーグ再開へ戦闘準備を整えている。【取材・構成=横田和幸編集委員】

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小野社長はPL学園2年夏(出番なし)、3年春(12打数5安打2打点)と甲子園に出場し、3季連続を狙った最後の夏は、大阪大会決勝で牛島-香川のバッテリーを擁した浪商(現大体大浪商)に、3-9で完敗した。ただ「チームとして牛島に苦手意識はなかったし、僕は4打数2安打だったかな」と振り返る。

残念だったのは試合前、学校から出発したバスが高速道路の渋滞につかまり、開始1時間前にようやく日生球場に到着。精神的にも準備ができなかった。甲子園3回戦で、箕島-星稜の球史に残る延長18回のドラマがあった同じ夏だ。

東都大学リーグでは、阿波野や山沖ら後にプロでエースになった投手から本塁打(通算5本)を記録した。夏の帰省で母校を訪れた際は“KKコンビ”の桑田、清原も指導するなど、熱い時代を生きてきた。

ただ根底にあるパワーの源は、全寮制だったPL学園時代の厳しい練習で培ったもの。その精神力が、営業マン時代には「自分があきらめれば、会社のプロジェクトは終わる」という責任感を支えた。今夏の甲子園が中止となり、涙した球児たちの今後の人生へ、もしかするとヒントになるかもしれない。【横田和幸】