J1横浜F・マリノスなどでMFとしてプレーし、7月に引退した狩野健太氏(34)が14日、横浜市内のanelfutPark FUTSAL POINTよこはま中山で、小学4年生から中学3年生までを対象に、特別トレーニングイベントを開催する。

自身が運営するプライベートスクール「KENTA KANO private soccer training」開校を記念し、「KENTA KANO private soccer training Summer Festa2020~ライバルに差をつけろ~」と題して行われる。

狩野氏はスクールで、スムーズに前を向けるボールの受け方、受ける場所、タイミングなど、これまで培ってきたテクニックや考え方を直接、指導している。特別トレーニングイベントでは、基本的な技術や意識向上を目指し、参加者自身が今いる位置を確認することで課題を浮き出し、これからやるべきトレーニングを、より明確にすることが目的。トレーニングは小学4~6年、中学生とグループを分け、それぞれ70分間ずつ指導を行う。定員は各回限定15人ずつで、先着順となる。

狩野氏は「これまでプロサッカー選手として培ってきた経験を子どもたちに直接伝えていきたいと考え、今回、トライアル的な形で1dayイベントを開催させていただくことになりました。今回のイベントでは、主にボールの受け方、キックの技術の基礎を直接指導させていただく予定です」と趣旨を説明。その上で「他にもプロ選手としての心構えや日常の食生活、日々どのような生活を送ってきていたかなど、短い時間ですが、参加者とは可能な限りコミュニケーションを取りたいと思っています。ぜひご参加いただき、何か1つでも吸収してもらえたらうれしく思います」とコメントした。

狩野氏は静岡市出身で、東海大一中(現東海大翔洋中)時代にU-15(15歳以下)日本代表候補に選出され、3年時に高円宮杯全日本ユース選手権(U-15)で準優勝。静岡学園高に進み、1年時に全国高校サッカー選手権に出場し、2年時には高円宮杯全日本ユース選手権(U-18)で準優勝。3年時には、さいたま国体に静岡県選抜の一員として出場し、静岡県選抜を3年ぶり、県単独では7年ぶりの優勝に導いた。卓越したテクニック、特に鋭いキックに定評があり「天才」と呼ばれ、2005年(平17)にJ1の6クラブの争奪戦の末、2005年(平17)に横浜に加入した。

横浜では2年目の06年から出場機会を増やすも、08年に右ひざ靱帯(じんたい)損傷、左足中速骨骨折など故障が相次いだ。09年にはキャリアハイのリーグ戦28試合に出場も、10年にMF中村俊輔(現横浜FC)がエスパニョール(スペイン)から復帰後、出場機会を減らした。13年に柏レイソルに移籍も左膝靱帯損傷、右足首骨軟骨骨折など故障が続いた。16年に川崎フロンターレに移籍し、開幕当初は先発出場したものの定位置確保に至らず、17年には右足関節骨棘(こっきょく)障害で離脱。18年にはJ2徳島ヴォルティスに移籍も、同年に左鼻骨と眼窩(がんか)壁骨折、19年には左膝内側側副靭帯損傷などケガが相次ぎ、同年で契約を満了した。

7月1日に徳島を通じて引退を発表。ケガに泣いた15年のプロ人生に幕を下ろし、子どもたちにサッカーを指導していく意向を明らかにしていた。15年間のプロ生活でJ1で148試合出場13得点、J2で29試合出場1得点、Jリーグカップは43試合出場5得点、天皇杯は26試合出場5得点、アジア・チャンピオンズリーグには柏時代の13、15年、川崎F時代の17年に出場し、7試合出場1得点の記録を残した。

特別トレーニングイベントには、狩野氏の静岡学園高の同級生で、フットサル日本代表として活躍するFリーグ・フウガドールすみだの諸江剣語(33)も参加する。参加申し込みは、狩野氏の公式サイトで受け付ける。