ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)が、J2ジュビロ磐田に期限付き移籍することが5日、両クラブから発表された。

G大阪では9月末から既に練習を欠席しており、10月3日の鹿島アントラーズ戦もベンチ外だった。この日午前10時から、G大阪がオンラインによる会見を開き、遠藤とG大阪小野忠史社長(59)が出席した。G大阪によると、期限付き移籍では通常は会見を行わないが、遠藤の功績を鑑みて取材対応の場を設けたという。

冒頭で小野社長は「クラブとしては最後まで戦ってもらい、引退後も何らかの形でG大阪の発展に貢献してもらいたい思いを持っていました。その中でオファーが届き、クラブとしては慰留したが、遠藤選手の常に試合に出場したい強い意志を最大限尊重した。再びG大阪で活躍してほしい」とあいさつ。

続いてスーツ姿の遠藤は「はい、20年近くG大阪でお世話になった感謝と、これから新しい挑戦をする楽しみの両方があります。(移籍理由は)まずは新しい挑戦をしたい。たくさんの出場時間を含めて、試合に出たいとあった中での移籍。常に競争ある中でなかなか試合に絡めず、その中で悔しい思いあった」とコメントした。

遠藤の期限付き移籍の期間は来年1月31日まで。今季は磐田とG大阪が対戦する公式戦には出場できない契約となった。磐田での背番号は50。

プロ23年目となる遠藤は今季、J1リーグ戦でここまで19試合中11試合に出場も、先発はわずか3試合で出番が激減していた。そこでJ2で中位に低迷する磐田からオファーを受け、約20年間在籍したG大阪から期限付きで移籍する決断をした。遠藤とG大阪の契約は今季末までで、来年はフリーの立場になる。

現在、J1通算最多641試合(103得点)出場で最多記録を更新し続けている。過去ワールドカップ(W杯)日本代表にも3度選ばれるなど経験豊富で、G大阪時代の13年にもJ2で1年間戦い、即J1復帰を果たしている。現在は主にボランチでプレーし、3列目からゲームメークするのが最大の特長。けがに強く、来年1月に41歳を迎えるが肉体的な不安はない。

◆遠藤保仁(えんどう・やすひと)1980年(昭55)1月28日、鹿児島県生まれ。鹿児島実から横浜F、京都を経て01年G大阪移籍。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジル大会出場。国際Aマッチ152試合(15得点)は歴代1位。J1通算641試合103得点。178センチ、75キロ。家族は夫人と2男2女。推定年俸1億円。