夢を志したのは、小学3年生。横浜FCの20歳のMF安永玲央が、子どもたちへメッセージを送った。父は横浜Mなどで活躍した安永聡太郎氏(44)。偉大な父からの金言を胸に刻む2世。並々ならぬ志で、幼少期からの目標だったプロの世界の扉を開いた。「犠牲」なくして、今の現在地はなかった。

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父は横浜Mなどで活躍したFW安永聡太郎氏(44)。安永少年が、サッカーに夢中になるのは時間の問題だった。9歳か、10歳だったろうか。何振り構うことなく、早々に夢を決断した。

安永 小学校3年くらいですね。サッカーを始めてすぐ、プロのサッカー選手になりたいと思った。

好きなサッカーを職業にしたい-。自然の摂理だった。その上で「サッカー選手になると決めた以上、やるしかないし、続けていくしかなかった」とブレなかった。

安永 友達が遊んでいる時間に、自分はトレーニングに励んでいた。誘惑は多くなってくるけど、自分の目標を見据えて、優先順位を考えてやってきた。もちろん友達とは遊びたい。友達のところに行きたいけど、サッカーに割く時間が必要だった。 小学校を卒業し、中学に入っても「自分がある程度、活躍していたので、何の根拠もなくサッカー選手になれると思っていた」。だが、全てが順風満帆ではなかった。在籍していた川崎フロンターレジュニアユースから、同ユースへの昇格はかなわなかった。挫折を味わいながら、セレクションを経て横浜FCユースへ。そこでも、当初は思うようなプレーが出来なかった。

転機は父の言葉だった。高校1年の時、父から「このままじゃプロになれないぞ」と言われた。今までは「焦りがなかった」。スッと心に刺さった。「サッカーに割く時間がさらに増えた。特に海外のサッカーを見るようになった。うまいプレーを見がちだけど、どう崩して、どのプレーがあったからとか。プロセスを考えて」。寝ても、覚めてもサッカーだった。

もちろん高い意識をキープするだけで、入れる世界でもない。幼少期の憧れだったFWメッシ(バルセロナ)には、唯一無二の左足がある。FWロナウド(ユベントス)も圧倒的なゴールセンス…。一流には武器がある。安永自身も、父から「『生き残ってやっていく上には武器が必要だ』と言われて、それが今も印象に残っている」とかみしめる。

「もちろん、まだまだですけど」と前置きした上で「ボール奪取、体の強さ、右足のキックは自分の武器なのかな」。11月8日の神戸戦(ニッパツ)の後半46分。ペナルティーエリア外でボールを受けると、左45度からゴール左に、右足から強烈なミドルシュート。J1初得点を決めた。

安永 自分がプロになって、思うことは、自分の目標のために犠牲を払えるか。決してかなわない目標ではない。

5人きょうだい。姉、3人の妹がいる。「すごい応援してくれて。自分のサッカーの影響で、家族が動くこともあった。感謝しています」。夢に真っすぐな少年に、家族は自然とサポートした。

目標のために時間を惜しまず、自分の武器を磨き上げてきた。2世だからではない。サッカーにどれだけ、向き合ってきたか。20歳でそれを証明し、プロのピッチに立つ。【栗田尚樹】

◆安永玲央(やすなが・れお)2000年(平12)11月19日、東京都生まれ。川崎Fジュニアユース、横浜FCユースから19年に横浜FC加入。J2通算2試合0得点、昨季期限付き移籍した富山でJ3通算2試合0得点。J1の今季は18試合出場1得点(18日現在)177センチ、72キロ。