横浜F・マリノスへの移籍加入が決まったFW宮市亮(28)が5日、オンラインで会見した。

20-21年シーズンをもって、ドイツ2部ザンクトパウリを退団。帰国後14日間の隔離期間をへて、この日横浜の練習に合流した。

昨季はケガでリーグ戦1試合の出場にとどまったが、宮市は「みなさんも懸念されていると思うけど、口で言うよりピッチで示すこと。状態はいいので、ピッチで示せるように頑張りたい」と話した。8月6日のガンバ大阪戦から、試合出場が認められる。

ザンクトパウリ退団が決まり、欧州クラブを含めて移籍先を探していたが、横浜からの熱心な誘いを受けて、Jリーグへの挑戦を決断したという。

初練習を終えた宮市は、すがすがしい表情で「サッカーができることが幸せでしかない。ここ10年いろいろあったので。日本だろうが海外だろうが、サッカーができる環境がある、プロとしてやらせてもらえることが本当にありがたい」と、幸せをかみしめた。

愛知・中京大中京高を卒業後、プレミアリーグの名門アーセナルと契約。さまざまなクラブでプレーして15年にザンクトパウリに入団したが、両膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂するなど、ケガに悩まされた10年だった。

宮市は当時を「先を見すぎて自分を苦しめていた」と振り返る。欧州のビッグクラブでは、莫大(ばくだい)な移籍金で有望な若手が続々と加入し、日々競争が激化していく。「焦りでケガをしていたときも正直あった」というが、「今は自分にフォーカスできている、メンタル面のコントロールは、10年前と比べものにならないくらい大人になったと思う」と、10年でたくましさを身につけた。

「正直、18歳でアーセナルと契約したときに思い描いていたキャリアではない。ただ、今は本当に幸せ。この10年、『もう引退か』というときもあった。苦しいこともあったけど、それを経て、サッカーができる喜び、プロでいられるありがたみは、誰よりも感じている。18歳のときは、サッカーができるのは当たり前、健康でいるのは当たり前で、そういうところに感謝できていなかったと思う。キャリア的には、欧州で成功したとは言えないと思うけど、今の自分は好きだし、マリノスに移籍してまたプレーする機会を頂いたので、このチームのために全力でやりたいです」。宮市の新たな挑戦が始まった。

◆宮市亮(みやいち・りょう)1992年(平4)12月14日生まれ、愛知県出身。11年に中京大中京高からプレミアリーグのアーセナル入り。欧州の複数クラブを経て、15年にザンクトパウリへ移籍。日本代表として国際Aマッチ2試合出場。183センチ、70キロ。