国見(長崎)が3920校の頂点に立った。昨年と同一カードの決勝戦となった対東海大一(静岡)戦は、前半23分にFW山木勝博(2年)が鮮やかな左足ボレーシュートを決め、全員で守り切り、昨年の雪辱を果たした。国見に移って4年目で悲願の日本一を獲得した名将・小嶺忠敏監督(42)の97キロの巨体が、感激のイレブンの手で宙に舞った。
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「だれのイビキがうるさいか、歯ぎしりをするのはだれか、それを知るのが私の仕事だと思うんです」。国見・小嶺忠敏監督(42)は、自らの監督像をこう説明する。選手個人のプレー上の特徴はもちろん、その性格まで熟知した上での指導が、悲願の初優勝の秘密でもある。
現在、自宅近くに借りた寮に29人の選手を入れて面倒を見ている。親元を離れて生活する選手の親代わりとして、その指導は私生活面にも及ぶ。朝食は選手が当番制で作り、掃除も洗濯もすべて選手自らが行う。その寮へ、小嶺監督は好きな酒を飲んでは訪れ、選手と雑談を繰り返す。「指導者は少しでも長く子供たちと接し、その性格をしっかり把握せにゃいかんのです」という持論の表れだ。
練習量は決して多くない。午前7時15分から1時間のミニゲームと、放課後はシュート練習と筋力トレを1時間ずつ。夜間照明がないハンディは車のヘッドライトで補い、サッカーコートの半分しかないグラウンドの狭さは、休日を利用した遠征試合でカバーする。精神面をがっちりつかんだ後は、サッカーにかける情熱で選手をリードする。
「私は監督であり、寮長であり、マネジャーであり、運転手なんですよ」。自ら遠征計画を練り、マイクロバスのハンドルを握る。今年度はこの日の決勝を含めて132試合。春休みには静岡・清水へ遠征し、日曜、祝日には佐賀、福岡、熊本へも足を延ばした。「選手である以上、休みはいらない」と年中無休。実戦に次ぐ実戦から、選手の長所を見つけ出し、チームを構成する。「とことん厳しい人ですが、僕たちのことを本当に分かってくれているのも先生なんです」と溝口主将は言った。
1968年(昭43)、大商大を卒業と同時に母校・島原商の監督に。総体を制し、国体で県選抜を2度優勝に導いたが、選手権では勝てなかった。1984年(昭59)4月、国見に移った途端、教え子・堀口監督が率いる島原商が全国制覇。そのシーンを目に焼き付けてから4年目、監督生活20年目で優勝旗を九州に持ち帰る。島原商時代からマイクロバスで走った距離は33万キロ(地球を約8周)。細心さと情熱と勝利に対する執念が、小嶺監督のエネルギーだ。【小堀泰男】



