川崎フロンターレを率いて5季目の鬼木達監督(47)が、史上最多4度目のJ1制覇を成し遂げた。広島を率いた現日本代表の森保一監督らを抜き、最速だった昨季同様4試合を残して優勝を決めた。90分での敗戦は、シーズン47試合中1試合のみ。平均失点数も史上最も少ない「隙のないチーム」をつくり上げたのが、“妥協しない男”鬼木監督だ。

川崎F竹内弘明強化本部長は、次の試合に向けて相手の試合映像を分析しながら“寝落ち”している姿を何度も見ている。「そこ(試合)に至るまでの準備とか、そういうのは妥協を知らない感じ。よく本人は『後悔したくない』と言っています」という。

指揮官を支える寺田周平コーチも「たくさん映像を見て、どう戦うか含めてかなり(分析に)時間を割いている」と明かす。それだけ準備するから、選手交代のカードを切るときも迷いはない。寺田氏は「いろんなシチュエーションを考えているからこそバシッと決断できるんだと、横で見ていて感じた」と尊敬のまなざしを向ける。

妥協をしないこだわりは「言葉」にもある。寺田氏は鬼木監督とともにコーチをしていた約10年前、遠征のバスの中で読書をしながら本に線を引いていた姿を覚えている。「当時から鬼木さんはいろんな本を読んでいたけど、『受け売りじゃなくて自分の言葉、自分の解釈で言わないと伝わらないよなあ』と言ったのが印象的で」。事実、川崎Fの選手からは取材時によく「鬼木監督の言葉」が出てくる。「守備でも拍手が起こるプレーをしよう」「11人で勝てる試合はほぼない」「去年の自分たちを超えよう」。その時々と選手の状況に応じて、心に届く言葉をかけ続けてきた。

天皇杯などでカテゴリが下のチームと対戦するときも、複数の試合を見てしっかりと研究する。当の本人は「自分は不安が常にある。だからこそ絶対に準備では最後の最後まで怠りたくない」と謙遜するが、その不安こそが、5年で4度のJ1制覇を支えている。【杉山理紗】

◆川崎フロンターレ 前身は1955年創部の富士通サッカー部。97年にJリーグを目指してプロ化し、川崎フロンターレに改称した。99年にJ2で優勝してJ1初昇格も、1年でJ2へ降格。地域密着の経営方針に転換し、再昇格した05年以降はJ1定着。フロンターレはイタリア語で「正面の」「前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続け、正面から正々堂々と戦う姿勢を示す。本拠地は川崎市等々力陸上競技場。

◆鬼木達 おにき・とおる。1974年(昭49)4月20日、千葉県生まれ。市船橋から93年に鹿島入りし、川崎Fでもプレーした後、06年に引退。川崎Fでコーチなどを歴任し、17年から監督を務める。

 

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