柏レイソルのネルシーニョ監督(71)が、7日のセレッソ大阪戦でJ1通算200勝を達成した。

95年にヴェルディ川崎(現東京V)を皮切りに日本で4クラブを指揮。名古屋グランパス時代は本田圭佑を抜てき。柏では日本代表DF酒井宏樹を育て欧州に送り出した。勝負にこだわり、選手と対話を重ね、勝つための準備を徹底するスタイルで、Jリーグ史上4人目の記録に到達した。ネルシーニョ監督の指導と素顔から、200勝到達の理由に迫った。

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ネルシーニョ監督は練習から勝負に対するこだわりをチームに植え付ける。パス練習1つも、こなすだけの選手がいれば「やらされてやるのではない」と一喝。ピリピリした緊張感あふれる練習が日常だ。練習で良かった選手が、急きょ先発に抜てきされることも少なくない。ミーティングでは過去のプレー映像を見せ「これはプレスではない」など改善点を指摘し意識を高める。特に試合前の準備の重要性を説き、映像を主体に約1時間のミーティングが通例。「サプライズをされたくない」とよく口にし、ピッチで相手の出方に驚かないようやれるべきすべての準備を注ぐ。

監督としてのモットーは「選手1人1人の役割を明確にすること。個々の役割を明確に落とし込むことが私に課された義務」。迷いや悩みがあると感じた選手には練習後、個別に青空ミーティングを重ねる。「このポジションは窮屈か」「いつものお前の姿ではない。思っていることがあったら、何でも言ってくれ。プライベートの悩みでもいい」など親身になって各選手と会話を重ねる。チームがいい時も悪いときも、そのモットーはぶれることがなかった。

勝負にこだわる原点について「自分の家族、生い立ち」と明かしたことがある。父は公務員で、5人きょうだいを不自由なく育ててくれた。ネルシーニョ監督が15歳でサッカー人生をスタートさせた時、父から「常に前に進みなさい。いろんな困難が待っているが、決してあきらめないこと。障壁があるたびに、そこをしっかり乗り越えて生きなさい」と言われた。今も監督の心の中で生きている言葉だ。

サッカーの本場のブラジルで厳しい世界を生き抜いてきた。「サッカー界は、常に厳しい批判にさらされる戦場」とし「自分の存在意義は勝つというためにある。恐怖心にあおられることも当然あるが、負けるわけにはいかない。常に念頭においているのは勝ち続けるために準備すること」。サッカー人生で一貫している柱だ。

プライベートでも勝負にこだわる。6キロランニングが日課だが、もう1人の自分が「無理して走るんじゃなくて、9キロ歩いたらいいのではないか」とささやくこともある。「いつも、もう1人の自分に打ち勝つように自分の中で勝負をしている」と話す。指揮官にとって200勝はまだ通過点。勝負にこだわり、J1での白星をさらに積み上げていく。【岩田千代巳】

◆ネルシーニョ 1950年7月22日、ブラジル・カンピーナス市生まれ。本名ネルソン・バプチスタ・ジュニオール。現役時代はサンパウロなどで右SBとして活躍。95年にV川崎(現東京V)監督として第2ステージ優勝。同年11月に日本代表監督候補になったが、内定が取り消され、日本協会を「腐ったミカン」と批判。97年にはクルゼイロを率いてトヨタ杯に出場。03年から名古屋、09年から柏を指揮。11年には史上初となる昇格初年度でのリーグ制覇。15年神戸、19年から再び柏監督就任。