セレッソ大阪は19日、J1リーグ戦で歴代最多得点記録(191点)を持つ元日本代表のFW大久保嘉人(39)が、今季限りで現役引退することを発表した。
J1リーグ戦の残り3試合と、チームが4強入りしている天皇杯が最後の勇姿になる。
大久保はクラブを通じて「今シーズンをもちまして引退することを決断しました。20年間という長い期間、プロサッカー選手として走り続けられたのは、日本サッカー界、そして所属させてもらったクラブの関係者、ファン・サポーターの皆さまのおかげです。本当に感謝しかありません。この20年間、苦しいことも楽しいこともうれしいこともいっぱいありましたが、苦しいことが1番多かったかもしれません。しかしそれが自分を強くしてくれたと思っています」とコメントした。
長崎・国見高時代に高校3冠を達成。複数クラブの争奪戦の末に、2000年12月にC大阪入りを決断した。翌01年にプロ入りすると、すぐに頭角を現し五輪代表とA代表入りを果たした。
04年末にスペイン1部のマジョルカに期限付き移籍。06年にC大阪に復帰し、翌07年に神戸に完全移籍。09年には再び海を渡る決断をする。ドイツ1部で優勝争いをしていたヴォルフスブルクを率いたマガト監督から熱烈オファーを受けて移籍するも、当時の2トップだったFWグラフィッチとジェコ(現インテル・ミラノ)が得点王争いをする活躍だったこともあり、控えに甘んじた。そのシーズンには、MF長谷部とともにブンデスリーガ優勝を経験する。
神戸復帰後は満足な活躍ができず、くすぶっていたところ、12年末に川崎Fからオファーを受けて移籍。当時の風間八宏監督の指導で復活し、13年から3年連続得点王に輝いた。
東京、磐田、東京Vを経て、今季から古巣のC大阪へ。かねて大久保は「誰も成し遂げたことのない(J1通算)200ゴールにはこだわりがある」と話していたが、志半ばでユニホームを脱ぐことになった。
注目を浴びた国見高時代、当時J1の16クラブ中15クラブから獲得オファーを受けていた。最終的にC大阪入りを決断した理由を、大久保は「俺と同じように背の低いモリシさん(元日本代表MF森島寛晃)がいたから。モリシさんの背中を見ていれば、俺も代表で活躍できると思った」と明かしていた。
2010年W杯南アフリカ大会では全4試合に先発し、岡田ジャパンの世界16強入りに貢献した。14年W杯ブラジル大会にもサプライズでメンバー入り。
前人未到のJ1歴代最多得点という記録はもちろん、記憶に残る選手だった。
◆大久保嘉人(おおくぼ・よしと)1982年(昭57)6月9日、福岡県生まれ。国見から01年C大阪入り。07年以降は神戸、川崎Fなどに所属。2度の海外移籍も経験。川崎Fで13年から3年連続得点王。J1通算474試合191得点。日本代表として04年アテネ五輪、10、14年W杯に出場。国際Aマッチ通算60試合6得点。170センチ、73キロ。
【大久保の今季残り試合】
〈J1リーグ戦〉
◆20日 川崎F戦(ヨドコウ)
◆27日 名古屋戦(ヨドコウ)
◆12月4日 清水戦(アウェー)
〈天皇杯〉
◆12月12日 準決勝・浦和戦(埼玉)
◆同19日 決勝戦(川崎F-大分の勝者、国立)



