今季限りでの引退を発表したセレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)の引退会見が22日、大阪市内のホテルで行われた。

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戦う気持ちを隠さず、そのままむき出しに、さらけ出す。大久保嘉人の戦う姿は見る人の感情に突き刺さってくる。嫌いな人は多いだろうし、見たくない人もいる。

試合で見せる大久保嘉人という野性そのものは、鮮烈だった。ファウルをアピールして主審に見苦しいまでに訴え、小競り合いになれば相手を罵倒、激しくガンをつけ、乱闘も辞さない。まったくもってフェアプレーとは呼べない荒々しさが、正真正銘の大久保嘉人そのものだった。

プロスポーツ選手はどちらかだ。表と裏がある狡猾(こうかつ)な部類と、打算とは無縁、そのままを生きるタイプ。大久保嘉人は言うまでもなく、そのままを生きていた、そう見えた。そして、本当は温かいとか、本当はいいやつとか、そういう風に見てほしいと大久保本人はみじんも思っていないところが、見ていてすがすがしかった。人の評価を気にする、そういう人種ではなかった。

08年のワールドカップ(W杯)アジア3次予選のオマーン戦で、相手GKの股間を蹴った。ゴール前の激しい攻防で勢い余って両者がぶつかり、GKの足が大久保の股間を直撃したのだが、間髪入れずに報復のキックを入れ一発退場。岡田武史監督に「何をしたんだ」と聞かれ「股間を蹴りました」と答え「このボケが!」と一喝された。

国際サッカー連盟(FIFA)から3試合の出場停止と、5000スイス・フラン(当時のレートで約52万円)の罰金が科された。当時の日本代表もW杯予選では苦しんだ。バーレーンにアウェーで負けることもあり、常に敗退との背中合わせの中、広大なユーラシア大陸をホームアンドアウェーで駆け回っていた。

反則は反省すべきであることは明白だが、直情型の大久保が勝とうとして、得点しようとして、無我夢中だったのは伝わってきた。日本のために戦い、罰金を科せられたことに対し、わずかでも力を貸したかった。罰金の足しにしてほしいと、大久保を頻繁に取材していた後輩記者に少額を託したが、大久保は受け取らなかった。

後日、確か中東の空港で顔を合わせた時に「少額だし、気持ちだから」と言うと、にこっと笑いながら言った。「ありがとうございます。でも、自分でやったことですから、ちゃんと自分で払います。プロ選手だからちゃんと給料もらってますから」。ものすごく感じが良かった。報復で相手の股間を蹴ったあの汗まみれの大久保とは別人のようだった。

すごいなと感じた。チームが勝つため、自分が得点するため、大久保は試合に入ると礼儀正しさも、穏やかな性格も、何もかも忘れて、捨てて、ただひたすらボールに集中しているのだろうと感じた。その動物のような研ぎ澄まされた集中力があるからこそ、日本代表でもJリーグでもゴールを誰よりも多く取ってきたんだと感じる。

2010年のW杯南アフリカ大会のメンバーは、強烈な「個」がそろっていた。強烈と言えば聞こえはいいが、もう少し踏み込んだ言い方をすれば、悪童ばかりだった。鹿実時代には、口笛でパスを呼んでいた松井大輔を中心に、松井と大久保が攻撃のリズムをつくっていた。

あまり人の言うことを聞かない闘莉王でさえ、大久保を慕っており、本田圭佑などは大久保が醸し出す一種のカリスマ的な空気となじんでいた。W杯本大会を前に、大久保の部屋に本田や、松井、闘莉王などが集まり、いろんな話をしていた。大久保が「これからカメルーンやオランダ、デンマークと戦うんだ。俺たちに隠し事があってはいけない。みんなどこに移籍するか、ここで打ち明けよう」と切り出し、なかなか移籍先を言わないメンバーに大久保が「はっきりしろよ」と迫ったこともあった。

いいか、悪いかで言えば、大久保を中心とした当時の日本代表のメンバーの何人かは、くっきりと悪い方の魅力にあふれていた。悪いというのは「悪」ということではなく、いざという時に頼りになるという意味で「肝が据わっている」「修羅場に動じない」と言い換えればイメージしやすいかもしれない。

ウォルフスブルク時代、長谷部は大久保の自宅に来て食事をしていた。それは、当時のマガト監督が本物の鬼軍曹で、練習場近くの森の中をひたすら走らせた。タイムを設定する厳しいメニューだった。ただ、何が一番苦しかったかといえば、いつ終わるかわからないということが、大久保や長谷部のメンタルを追い詰めた。「あと何本」とカウントできない。「いつまで続くんだ?」「いつ終わる?」という疑問と諦めの中、本物の精神力と体力が求められた。

メンタルとフィジカルの両面でへとへとになった長谷部が、大久保の家でくつろいだ。夫人の手料理を食べながら、大久保の子どもと遊び、リラックスしていた。そんな話を聞くと、大久保の懐の深さに思いが及ぶ。クタクタの長谷部を家に招き、ねぎらってやる。自分自身も苦しいのに、後輩を思いやる優しさがある。大久保嘉人という苛烈な人間を考える時、いつも試合で感じる激しい野人のような大久保とは懸け離れた人間大久保嘉人が思い浮かぶ。

日本サッカーに強烈な印象を与え、世界と戦うために、サッカー選手には何が必要か、体で示してくれたのが大久保嘉人だった。

燃えるような魂は、激しく燃え盛り近寄りがたいほど熱かった。その熱を感じられたものは、熱さとともに大いなる興奮と、勝利への飽くなき欲求を抱くことができた。心からお礼を言いたい。【井上眞】