大久保嘉人は05年1月9日、スペイン1部マジョルカで1ゴール1アシストの衝撃デビューを飾った。しかし「銀河系軍団」Rマドリード戦を3日後に控えて、まさかの事実が判明する。

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大久保のけがは、打撲でなく、右膝蓋(しつがい)骨骨折だった。

ひざの皿が欠けていた。負傷直後は患部の内出血が影になってエックス線画像に映らなかった。腫れがひいて、初めて骨折が明らかになった。骨の破片が3個、ひざの内部にとどまり、違和感を生じさせていた。

 記者は、大久保が休んだ午後練習でスタジアムをうろつくうちに、関係者から「もうすぐ会見だから」と骨折の事実を聞いた。ただクラブが正式発表する前に、報じることは止められた。会見は日本時間で午前1時前後。新聞の締め切りとしては、ぎりぎりだった。

会見の中身は、3パターンが予想された。

(1)練習欠席

(2)Rマドリード戦欠場

(3)骨折

クラブがどこまで発表するか、わからなかった。(1)~(3)まで3種類の予定稿を書いて、会見前に日本に送信した。発表された段階で、すぐに会社のデスクに電話する算段だった。

クラブは、(3)骨折まで公表した。会見後に記事を書き始めると間に合わない時間帯だった。当時はまだウェブ記事も一般的ではなかった。「大久保、骨折」は一面のニュースになった。

★医者がいいなら自分は出る

日本では同時期に、代表合宿が行われていた。ジーコ監督は「状況がわからないのでコメントしようがない」と困惑。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは「焦らずけがを治してほしい」と、自重を求めた。

だが、大久保は違った。

「皿が割れていたけど、本当にちっちゃいかけら。医者が大丈夫だというならば自分は出る。試合をやる」。

ショッキングな骨折発表から一夜明けた21日もランニングした。最後のシュート練習にも合流して、合計37本を打った。負担がかかる右足アウトサイドでのシュートも放った。

大久保の強い意欲に、チーム内の意見も割れた。「3週間安静」で痛みがとれるという診断と、患部に痛み止めの注射を打てばRマドリード戦が可能という診断があった。大久保は遠征に同行して、首都マドリードにいるひざ治療の権威ペドロ・ギジェン氏の診察を受けることになった。

ただし戦術練習はゼロ。本人は「ベンチ入りはないでしょ」と、スタンド観戦を覚悟していた。

試合前日の22日、大久保はギジェン氏を訪れた。名医の診断は「手術なし、痛み止めなし、出場OK」だった。右膝の破片3個は内部で定着しており、内出血や痛みを再発させるおそれはないとされた。現在の違和感は、負傷から日数がたっていないためで、あと1週間でその影響もなくなる。関係者は「ゆでた卵の殻が内部の薄皮にはりついているような状態」と説明した。名医の太鼓判を得て、大久保はベンチ入り。にわかに「銀河系軍団」との対決が現実味を帯びた。

05年1月23日、マドリード。Rマドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウに6万5000人が詰めかけていた。

試合はイエローカード9枚、流血あり、退場ありと大荒れになった。

1-1の後半19分。大久保は、クペル監督に呼ばれた。「一緒に練習してなかったので驚いた」。骨折発表からわずか3日、途中出場でピッチに立った。大ブーイングを浴びて「気持ちいい。やる気になる」。

やんちゃFWの本領を発揮した。

退場で10人になったマジョルカは大久保を1トップに据えた。ボランチからDFラインに下がってくるベッカムとガチンコ勝負。同30分に3人に囲まれてボールを奪われた直後、絡んできたベッカムと激しく口論。同42分にベッカムが前のめりに体を投げ出して大久保へのパスをカットすると「ナイスプレー」とばかりにお尻をぽんとたたいた。

ベッカムは、大久保について「日本人がスペインに来てプレーするのはいいことだ」と好意的だった。

強いインパクトを残したのは、1-2の同40分だった。

ゴール左からのFKで同点チャンス。大久保は、ゴール前でDFエルゲラと、小競り合いになった。

「ひじで小突いてきた。だから振り払うようにしてひじでやり返してやった」。

それを見たベッカムに「ひじを使うな!」とジェスチャー付きで詰め寄られた。ゴール前のポジション争いは当たり前。大久保も眉間(みけん)にしわを寄せて、至近距離でにらみあった。

「ベッカムが文句を言ってきた。何か言ってきたから、言い返してやった」。

険悪なムードに割って入ったブラジル代表DFのR・カルロスも、返す刀で、激しくにらみつけた。

記者は「大久保、ベッカムとケンカ」と報じた。

象徴的なシーンだが、実は現場の日本人記者は、ほぼ気づいていなかった。大久保のボールタッチ数は6回、シュート0本。さらに言えば「銀河系軍団」の誰かとぶつかれば、トピックスになるとわかっていた。記者も、大久保の一挙手一投足を注目していたつもりだったが、見逃していた。

ホテルに戻ると、同僚のアルゼンチン人カメラマンがやってきて「オオクボ、ベッカム、ファイト」と言った。最初は何のことかわからなかった。差し出されたパソコンで連続写真を確認すると2人がにらみ合っていた。「これ、いつ? どこ?」と声が裏返った。

もめ事が起きた場面。左からのFKは、ゴールのはるか上を越えていった。ミスキックだったが、記者の習性で、空中のボールを目で追っていた。その時、ゴール前で起きていた「ケンカ」に気がつかなかった。

でもボールを追うのはカメラマンも同じはずだ。どうして、こんな写真が撮れるのか。母国アルゼンチンでディエゴ・マラドーナを撮影していた同僚は、結論を急ぐ記者をなだめるように、静かに言った。

★「ピッチに立てば同じ1人の選手」

「Rマドリードは、スター選手がいっぱい。AP通信もロイター通信も忙しい。ジダンはフランス、ベッカムは英国、Rカルロス、ロナウドはブラジル、ラウルはスペイン、フィーゴはポルトガル。それぞれ写真を送らなきゃいけない。ボールも追わなきゃいけない。日本の大久保は(優先順位で)5番目? 6番目? 最初に2、3枚撮って終わり。私は日刊スポーツの仕事を請け負っている。ジダンもベッカムもいらない。ずっと大久保をファインダーで捉えている。だから撮れる」

プロフェッショナルの言葉に、ぐうの音もでなかった。

試合は1-3で敗れた。Rマドリード戦を「夢だった」と語っていた大久保は試合を終えて「何もない。レアルとやれたということだけではうれしくない。ピッチに立てば同じ1人のサッカー選手。スターじゃない」とぶっきらぼうに言った。そして「ここから全部勝ちたい」と口にした。

記者は、1カ月半のマジョルカ出張を終えて、2月に帰国した。相手が誰でも物おじしない大久保の取材は、ジェットコースターに乗っているようだった。

思い出す光景がある。

スペインには、新年の風習がある。1月1日午前0時、1秒に1つ鳴る12の鐘の音に合わせ、12粒のブドウを全部食べると、その年を幸せに過ごせるという。

大みそかの夜、記者も12粒のぶどうを手にした。鐘が鳴る前に1つ1つ皮をむいて準備は万全。鐘に合わせて次々と口に入れていたが、口の中で種がじゃまになって、6粒であえなく終了。こんなの無理だろう、と思った。

翌日は05年1月1日だった。青く晴れ渡った新年の朝、まだ誰もいない郊外の練習場で、一番乗りした大久保に聞いた。

「ぶどう、食べた?」

「食べたよ。全部」

「え、種がじゃまにならなかった?」

「え、種も皮もまるごと全部、食べればいいでしょ」。

大久保は、不思議そうな顔で、こちらを見ていた。

目的=ゴール以外はすべてが小さなことにすぎない。大久保の考え方に触れた気がした。(おわり)【益田一弘】

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