J1昇格を決めた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が、今季限りで現役引退することが17日までに、分かった。前日16日のホーム最終戦・ツエーゲン金沢戦では、後半28分から途中出場。約5カ月ぶりのピッチに立ち、FKのキッカーを務めていた。横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、レジーナ(イタリア)、セルティック(スコットランド)、エスパニョール(スペイン)などで、一時代を築いた希代のレフティー。歴代担当記者が、その人柄や思い出を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

「えっ、ヒデさん、いるんですか?」。中村俊輔は、驚いたような表情を見せながら、どこか、うれしそうだった。

海外挑戦1シーズン目の03年2月。前年、日韓W杯のメンバーから漏れた中村は、横浜マリノスを離れて、イタリアの地、セリエAレジーナで再スタートを切っていた。

ミラノでの試合後、日本料理店で夕食を取っていた時のことだった。こんな偶然もあるもんだと、私も驚いた夜だった。同じ店に当時パルマの中田英寿さんが、別室で食事をしていた。それを中村に伝えると「実はヒデさんと、ちゃんと話をしたことがないんですよね」と話した。ピッチ上でのやりとりはあっても、それ以上の接点はなかった。

まだ24歳。自信と不安が入り交じりながらも、大好きなサッカーに没頭しようと異国の地に飛び込んでいた。その決断をした理由の1つが、イタリアに中田英寿がいたことだった。とはいえ、プライベートな時間を邪魔できない。でも話をしてみたい…。逡巡(しゅんじゅん)していたが、「よし、行ってくる」。意を決して「あこがれのヒデさん」にあいさつに向かった。

満足そうな表情で自席に戻ってきたのは2時間後だった。濃密な時間だったのだろう。サッカー観も合ったのかもしれない。あの夜から、コメントが少し変わった感じがした。ジーコジャパンの代表戦では「ヒデさんの動きをしっかり見ているし、ヒデさんもボクを見てくれている」と日本の中心ラインとして“自信”がみなぎっていた。

「自分を成長させたい」。この言葉をよく聞いた。記者は野球担当歴15年だがサッカーは1年目だった。初めて接した選手が中村俊輔だった。「ボクがサッカー教えてあげるから、野球のこといろいろ教えてよ」。イタリア・レッジョディカラブリアの街で、そう言われた日のことは忘れられない。食事をする時、いつも、紙ナプキンにメモをしていた(写真)。こんなアスリートを見たのも初めてだった。

「プロ野球も1度見てみたい」。探求心にもあふれていた。東京ドームに招待すると「選手全体がどんな動きをするか、参考になるかもしれないからね」と、ネット裏ではなく、俯瞰(ふかん)できる場所から一投一打を目で追っていた(写真)。現役生活26年を終えてもサッカーへの情熱は衰えていないはず。いい指導者になるんだろうなぁ。そう思えて仕方ない。 【田誠】