日本(FIFAランキング24位)が強豪スペイン(同7位)を破り、E組1位で2大会連続の決勝トーナメント(16強)進出を決めた。MF三笘薫(25=ブライトン)の守備での貢献が、サポーターの間で絶賛されている。「ABEMA FIFAワールドカップゼネラルマネジャー」で、ABEMAで日本対スペインの試合の解説を務めた本田圭佑(36)は、MVPに三笘を挙げ「守備での活躍がすさまじかった」と話したほどだ。

一般には三笘はドリブルでの突破が光るが、実は守備の強度もプロ入りして進化している。理由としては、プロの第1歩を踏み出した川崎フロンターレの経験が大きい。

川崎Fは17年に、鬼木達監督が就任した。鹿島アントラーズ出身の鬼木監督は「うまいだけでは勝てない。鹿島は、うまい選手があれだけ守備でもトレーニングでもハードワークをしている。うまい選手がやれば鬼に金棒。どんどん強くなるのは当たり前」と選手たちに言い続けてきた。

中でも驚いたのは、17年に加入したMF家長昭博の起用だった。だれが見てもうまい選手だったが、なかなか先発に定着しなかった。技術があっても、練習で戦う姿勢が見られない選手はピッチに立てなかった。それを見た若手たちが「アキさん(家長)が出られないなんて。守備をやらないと、本当に出られない」と目の色を変えて、練習から必死に激しく球際で戦い始めたのを覚えている。

家長は、8月13日の鹿島戦で先発起用された。試合前の取材で「もう、後がないので」と珍しく切羽詰まったコメントを聞いたことは今でも覚えている。その鹿島戦で、家長は今までにない球際で戦う姿を発揮した。周囲から「家長がすさまじかった」と高評価され、以降、苦しいときにも足を止めずに味方のために走り続ける家長は、チームに欠かせない存在となり、翌18年はMVPを受賞した。

三笘が川崎Fに加入したのは20年。川崎Fのチームも、守備の強度や技術の高さがさらに磨きがかかっていた時期でもあった。試合出場をつかむために、練習から激しい球際やハードワークを、技術同様に重視してきたのは必然の流れだった。加入1年目で、新人史上5人目となる2ケタ得点を記録し、攻撃面がクローズアップされたが、本人は「1試合で1ゴールか1アシストぐらいは常に残しいかないといけないと常に自分の中で思っている。それでチームが勝てればいいですけど、それがなくても、守備の部分、ハードワークの部分でチームの勝利に貢献できれば」と話していた。

21年夏にベルギーのサンジロワーズ、今夏からプレミアリーグ・ブライトンでプレー。特に、強度の高いプレミアリーグでプレーしており、川崎Fで培った守備面、ハードワークはさらに磨かれている。三笘の守備が、W杯の強豪国にも通用したのは、川崎F時代から培われたベースがあったからこそだ。【元川崎F担当 岩田千代巳】