<箱根を読み解く7つのカギ:(7)東日本大震災>

 年が変わるからこそ、忘れてはならない。忘れさせないために箱根路を走るランナーたちがいる。3月の東日本大震災の記憶。日本中の注目を集める大会だからこそ、復興支援へ箱根駅伝ができることがある。

 使命感を口にするのは、福島県いわき市出身の「山の神」柏原竜二(東洋大4年)。震災後初めて故郷に戻ったのは8月だった。

 柏原

 自分が今まで見てきた光景が大きく変わっていたことにショックを受けた。被災地ではいまだに不自由な暮らしをしているところもある。箱根を見て、少しでもワクワクしてもらえたら。1分1秒でも熱中してもらいたい。

 11月20日の福島駅伝で沿道から「帰ってきてくれてありがとう」の声が胸に響いた。福島原発事故の影響が色濃く残る中、思いがけない感謝の言葉だった。

 柏原

 これから箱根駅伝という時期に、逆に僕の方がやる気をもらった。故郷福島のためにも頑張ろうと思った。

 同じ福島県出身の駒大の大八木弘明監督(53)は、選手に言い続けてきたことがある。「笑顔で」。ミーティングで教え子たちに何より強調してきた。その真意を撹上(かくあげ)宏光(3年)が明かす。自身も高校時代を福島県で過ごした。

 撹上

 タスキを笑顔で受けることで、笑顔をみせることによって、少しでも温かい気持ちになっていただければなと思います。箱根駅伝は大きな大会で皆さんも見てくださる。そこでしっかり結果を出して恩返しというか、元気づけたい。

 主催する関東学生陸上連盟は、全選手のランニングパンツに「がんばろう日本」のシールを貼り付ける。芦ノ湖の往路フィニッシュ地点にも同メッセージを記した横断幕も掲げる。各中継所のプログラム販売所には募金箱も設置。さらにプログラムの売り上げの10%を義援金として寄付する。

 忘れないために-。続けていくために-。これまでの87回の大会とは異なる思いを背負ってタスキをつなぐ、10区間217・9キロ。総勢200人のランナーたちは、年明けの箱根路にできることがあると信じて大地を蹴る。【阿部健吾】(おわり)