<第89回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・9キロ)

 ラスト100メートル、劇的なかけっこで勝負がついた!

 最終10区でデッドヒートを繰り広げた帝京大・熊崎健人(2年)が、ゴール前最後の直前で早大・田口大貴(2年)を胸の差で振り切った。優勝した日体大と同じく予選会から出場した帝京大が、熊崎の爆発的な末脚で00年に続く、過去最高の4位に食い込んだ。

 勝負の舞台は大手町。熊崎は並走する田口をけん制するように何度も首を振り、スパートのタイミングを計った。そして直線残り約100メートル。満を持して熊崎が飛び出した。田口も負けじと鬼の形相で追いすがる。歓声に包まれる中、わずか胸の差、熊崎が先にゴールに飛び込んだ。長い東京箱根間の往復217・8キロを激走してきた2校の最後は、思いがけぬ100メートルダッシュで決着がついた。「本当に良かったぁー」。タイムは11時間21分39秒。早大と同タイムだった。

 5位でタスキを受け取り、3キロ地点で田口をとらえた。しかし、中野監督がいい意味で「ずるがしこい」と評価する熊崎。「絶対に前に出ないようにした」と初めからスパート勝負と決めていた。大会前に田口を分析し、「スピードでは勝てる」と判断。ゴール近くまで並走し我慢した。その勝負勘で激戦を制した。

 前回まで4年連続でシード落ち。その度に中野監督は「負け犬じゃないんだ」と鼓舞した。昨年の夏合宿からは「日本一あきらめの悪いチームになろう」と忍耐力をたたき込んだ。出場10人のうち5人が箱根未経験者。メンタルを口酸っぱく説いた。いつの間にか「しゅうとじじい」と呼ばれるようになっていた。そんな監督の思いが浸透。熊崎は「自分だけではない。(ほかの)9人分の走りが自分にかかっている」と魂を込めての爆走だった。

 大阪・関大北陽高から大学に進学する時、声をかけてくれたのはわずか1校だけ。自ら高校の監督に話し、帝京大のスカウトに売り込み、入学を許された。「帝京に入って本当に良かった」。父敦さんは神戸・三宮でワインバーを経営するソムリエ。昨年5月に20歳となった熊崎は「父と乾杯です!」。とびきりの笑顔を見せた。【吉松忠弘】

 ◆熊崎健人(くまざき・たけと)1992年(平4)5月15日、川崎市生まれ。千葉・青葉台小4年で陸上を始め、兵庫・本山南中-大阪・関大北陽高。高3では主将で全国高校駅伝31位。帝京大進学後は12年全日本3区で3大駅伝にデビューし区間6位。箱根予選会でも15位と健闘した。170センチ、54キロ。家族は父敦さん、母典子さんの3人家族。