伝統のたすきが途切れた。中大が10時間17分1秒の11位に終わり、上位10校が進む来年1月2、3日の本戦出場を逃した。世界選手権マラソン代表3度選出の藤原正和監督(35)が4月に就任。1年の舟津彰馬を主将にするなど改革を行ったが、10位日大に44秒届かず、連続出場回数が「87」で止まった。本戦で最多14度の優勝を誇る名門が正月の箱根から姿を消すことになった。

 正月の箱根で「白地に赤のC」が見られない。日大との44秒差が、戦争による中断を挟み日ソ基本条約の1925年(大14)から続く伝統を止めた。藤原監督は「伝統のたすきを途切らせてひとえに私の責任。申し訳ありません」。舟津主将は「自分たちはこの日を忘れることはありません!」と涙で絶叫した。

 最初の5キロ通過は、チーム全体で6位と出遅れた。藤原監督は「入りが想定よりも遅かった。厳しいと思った」。エース町沢は1時間0分5秒で個人15位。苦戦を挽回する起爆剤にはならなかった。

 優勝14回、出場90回、連続出場87回はいずれも最多。だが最後の優勝は96年で最近は4年連続で予選会出場と低迷。再建の切り札が3月に現役を引退したばかりのOB藤原監督だった。

 藤原監督は4月に日野市内の選手寮で住み始めて驚いた。玄関、食堂、トイレが雑然とし、集合に遅れる選手がいた。「同好会みたいなものだった」。自身の学生時代は月1度、寮の門限である午後10時を越える外出が許可されていた。だが監督になって戻ると外出許可は月4度、しかもOBの誘いは別枠でカウントされないなど、ルーズになっていた。「24時間競技のことを考えるものなのに」。

 舟津も今春の入学時、目を疑った。先頭で練習を引っ張る選手がいない、ラストでペースを上げない。「箱根にいけるわけがない」。緩んだ空気を一掃するために、藤原監督は6月に舟津を主将にする“カンフル剤”を投入。しかし本戦出場には届かなかった。町沢は「中大は自主性を重んじるところがあったが、それが甘えに変わった。悪いところばかり引き継いでしまった」と涙に暮れた。

 藤原監督は「屈辱以外の何ものでもないが、これが現実です」。大学側は昨秋に「箱根駅伝で5年以内に5位、10年以内に優勝」を目標に、陸上部を重点強化する方針を発表。第1弾が藤原監督の起用だった。「今年より来年のほうが厳しい。またここから新しい伝統を作っていかなきゃいけない。いばらの道です」と藤原監督。復活へ、長い戦いが始まる。【益田一弘】

 ◆予選会 各校14人までのエントリー選手のうち、10~12人が出場する。全員が20キロを走り、チーム上位10人の所要合計タイムの少ない上位10校が本戦出場権を獲得。本戦には前回優勝の青学大などシード10校、予選会を突破した10校、予選会の記録上位者を中心に編成する関東学生連合(オープン参加)の21チームが出場する。