【ロンドン=上田悠太】負けても主役は揺るがなかった。今大会を最後に引退を表明しているウサイン・ボルト(30=ジャマイカ)は男子100メートル決勝で9秒95の銅メダルだった。個人種目ではラストレース。3連覇を逃したが、場内からは優勝したジャスティン・ガトリン(35=米国)とは正反対の祝福の拍手を送られた。世界選手権での通算メダル数を14とし、男女を通じ歴代トップタイとなった。

 負けた。それでもボルトは勝者のように5万6000人の観客の視線を独り占めした。電光掲示板に結果が表示されると、大ブーイングが起こった。ボルトが敗れたからではない。勝ったのが、過去2度のドーピングによる出場停止処分を受けているガトリンだからだ。会場は異様な雰囲気に包まれた。ボルトは長年、好勝負を繰り広げてきたガトリンと抱擁すると、スタンド前を歩き始めた。

 35歳で6大会ぶりの優勝を果たした男とは比べきれない数のカメラマンがボルトを追う。ブーイングの余韻が残る中、湧き起こる拍手と「ウサイン・ボルト」コール。総立ちの会場をウイニングランのように回り、写真撮影に応じ、ハイタッチを繰り返した。勝者のような余韻に浸りながら1周すると、トラックにキス。最後に代名詞のボルトポーズを3連発すると、スタンドのボルテージは最高潮に達した。優勝者の特権であるはずの観客の前でのインタビューもボルトが最初だった。かたや少数のカメラマンの前で国旗を広げるガトリン。この日は、勝者と敗者の立場が逆だった。

 ボルト 声援が本当にベストを出せるように後押ししてくれた。長年、本当に応援ありがとな。俺は世界で最も偉大なアスリートの1人と証明できた。今回は期待される成績を残せなかったけど、俺の実績は何も変わらないはずだ。

 スタートで遅れ、中盤の全盛期の伸びはなかった。必死の形相で走り、最後は胸を突き出す執念も見せたが、ガトリンに0秒03、米国の期待の若手コールマンに0秒01及ばなかった。

 9秒58の100メートル、19秒19の200メートルの世界記録、世界選手権と五輪を合わせ20個の金メダルを持つ「世界最速男」は、失格を除けば初めて100メートル決勝で負けた。ただ今回の銅メダルで、世界選手権での通算メダル数は14になった。男女を通じ歴代トップのマーリーン・オッティ(ジャマイカ)に並んだ。スーパースターの伝説が色あせることはない。男子400メートルリレーが最後の花道になる。

 ◆ウサイン・ボルト 1986年8月21日、ジャマイカ・トレロニー生まれ。少年時代はサッカー、クリケットに打ち込み、13歳から陸上を始める。当初は200メートルが専門。02年世界ジュニア選手権を史上最年少の15歳で優勝。07年世界選手権大阪大会で200メートル銀メダルに輝いて、100メートル本格参戦。09年同ベルリン大会で100メートルで9秒58、200メートルで19秒19の世界記録を樹立した。五輪は08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと3大会連続で100メートル、200メートルの2種目を制覇。趣味はテニス観戦、サッカー。196センチ、95キロ。