【2区】高崎市役所→前橋市公田町(8・3キロ)

区間日本人最高記録保持者:小島忠幸(当時22=旭化成)

記録:23分14秒(99年区間賞)

現在41歳。旭化成コーチ

 

 ニューイヤー駅伝で唯一10キロ未満となる区間。小さな起伏はあるものの大半が追い風となるコースで、トラック競技以上のスピードが出る。09年以降は外国人が出場できる唯一の区間(インターナショナル区間)となったこともあり、世界トップレベルのスピードで駅伝が展開されている。

 区間日本人最高は小島忠幸が99年大会に記録した。当時は2区に外国人が起用されなかった時代だが、「最初に下って上っていく部分もありましたが、ほぼ全開で行きました」と小島。速く入っても押し切れる区間であることに変わりはなかった。

 小島はトップと5秒差の3位で中継所をスタートし、3キロからは先頭を独走。5キロを13分29秒という驚異的なスピードで飛ばした。

 90年代は旭化成の全盛期の1つ。ニューイヤー駅伝は90~99年の10大会中9回も優勝した。マラソンと両立させるのは当たり前の時代で、小島が区間最高を出す1カ月前の福岡国際マラソンでは、佐藤信之が2時間8分48秒で日本人トップの2位。小島さらには小島の兄の宗幸も2時間9分台と、旭化成勢3人がサブテン(2時間10分以内で走ること)の走りをした。

 「駅伝は佐藤さんが(当時の最長区間の)6区を走ってくれましたが、当初は僕が6区の予定でした。福岡の後に体調を崩してしまって2区を走ることになったんです。前日のミーティングでは僕のところでトップに立って、後続を引き離すのが役目だと言われました」。

 小島はその通りの走りを実行し、3キロ以降も独走でリードを広げ続けた。しかし「最後の1キロ」で足が動かなくなってしまった。これは小島に限ったことではない。ラスト1キロは上りとなりため、世界陸上のメダリストが走る今の外国勢でも「10秒くらいはその1キロで変わる」という。観戦時の注目ポイントの1つだろう。

 小島は2位に14秒差をつけて3区に中継した。旭化成は3区でエスビー食品、NECに抜かれ3位に下がったが、4区の高尾憲司の快走で再度トップに上がった。しかし6区の佐藤で2位に後退。最終7区の川島伸次(現コーチ)が再逆転して3連覇を飾った。当初の予想とは違う苦しんでの栄冠だった。

 「勝ったからよかったのですが、あれで負けていたら僕の責任でした。最後の1キロで切り替えられなかったので70点です」と小島は当時を回想する。

 しかしその後、八木勇樹や鎧坂哲哉といった旭化成の後輩が23分20秒台は出すが、小島の記録には近づけていない。小島は「周りで外国人がバンバン飛ばすなか、自分のリズムを刻むのは難しい」と、当時との違いを指摘している。

 1万メートル27分台レベルの選手が、外国勢に惑わされずに自分の走りができたときに初めて区間日本人最高を更新できるだろう。