黒ぶちメガネがトレードマークの中大4年生が、日本人トップの5位に入った。初マラソンの堀尾謙介(22)が2時間10分21秒で走り、学生初となる20年東京五輪の代表選考会「マラソン・グランドチャンピオンシップ」の出場権を獲得した。冷たい雨が降り注ぎ、日本記録保持者の大迫傑(27=ナイキ)が途中棄権するなど波乱のレースで快走した。

ゴールまで残り800メートルを切った。37キロ付近で日本人トップに立った堀尾は余力がなかった。今井、藤川との距離を確認するため、後ろを振り返った。気温4・8度、肩で息をしていた。その黒縁メガネは曇りがかっていた。「視界がぼやけていて、後ろがどの位置にいるか、正直分からなかった」。もう前を見て、走るしかない。フィニッシュラインを越えると、足がもつれ、倒れた。日本人トップはゴール後に知った。

ノーマークの存在だった。初マラソンだけに「ダメだったらダメでもいい」と大きなストライドを生かして攻めた。すると学生では初となるMGCの出場権が付いてきた。「ワンチャン取れればいいかなぐらいのつもりだった。自分自身、MGCが取れたことに驚いています。現実なのか」と笑った。25キロ地点の給水を取り損ね、隣を走っていた藤川に「もらえますか?」とお願い。面識はなかったが、無事にボトルをもらえ「藤川さんが優しい方でよかった」と感謝した。

視力は両目0・05。小3からメガネがトレードマークだ。中3時にコンタクトレンズに変更した時があるが「誰?」と言われ続け、3日でメガネに戻した。現在、メガネはこの日使用した約4万円のものと「普段用」「予備用」の3個持つ。また春に新メガネを「買おうかな」と言い、曇り止めレンズを勧められると、前向きだった。

メンタル面が課題だった。中大は全日本大学駅伝で予選落ち。春先は体調不良に苦しみ、走れなかったこともあって「陸上に向き合えないです」と夏に1週間、チームを離脱した。すでに卒業後はトヨタ自動車で競技を続けることは決まっていた。藤原監督から「どういう覚悟でやっているのか。何を得るために陸上をやっているのか、そこを突き詰めて考えて、自分なりの考えをもって帰ってきなさい」と諭された。競技から離れることで「陸上が好きだな」と再確認。覚悟を決め、甘えを捨てた。

MGCは「チャレンジャー」として挑む。東京五輪へつながる半年後の舞台。再びのビッグサプライズを巻き起こす。【上田悠太】

◆東京マラソン 都市型市民マラソンとして07年に設立。17年に25キロ過ぎから高低差が少なく、潮風の影響も軽減されるコースに変更した。18年には設楽悠太が2時間6分11秒の日本記録(当時)を樹立した。賞金総額は男女各2025万円で、優勝賞金は各1100万円。世界記録なら3000万円、日本記録なら500万円が贈られる。日本男子3位までで2時間11分0秒以内、または同4~6位で2時間10分0秒以内などの条件でMGCの出場権を得られる。

◆東京マラソンでのMGC出場権獲得条件 日本男子3位までで2時間11分0秒以内、または同4~6位で2時間10分0秒以内でMGC出場権が得られる。また順位を満たさなくても、男子は2時間8分30秒以内、女子は2時間24分0秒以内を記録すれば、ワイルドカードで出場権獲得。