青学大4年の吉田祐也(22)が、2時間8分30秒の好タイムで日本勢トップの3位に入った。マラソンの学生記録(藤原正和=中大、2時間8分12秒、2003年びわ湖毎日マラソン)には18秒及ばなかったものの、初マラソンとしては日本歴代2位という快記録だった。

箱根の快走の再現だった。足もとには話題のナイキ製厚底シューズ。初マラソンとは思えない軽快な足取りで、ピッチは衰えない。38キロ手前から外国人選手2人と競り合うと、積極的に仕掛けて一度は先頭に立った。だが、すぐに追いつかれると余力はなく、逆に離された。

それでも大会新記録の2時間8分1秒で優勝したハムザ・サリ(モロッコ)、2位アブデラ(エチオピア)のアフリカ勢に続く3位でゴールすると、自然とガッツポーズが出た。

テレビ解説者を務めた原晋監督から「頑張ったね。すごいな、お前。やっぱり努力は裏切らないね」と声をかけられると、「箱根とマラソンは別物で、浮かれた気持ちなら絶対にはね返されると思っていた。1カ月は充実した準備ができ、自信を持って走れました」。

埼玉・東農大三高までは全国的には無名の選手。原監督の慧(けい)眼にとまり、スカウトされた。「4年間かけてトップ選手に育てる」という言葉を信じ、愚直に練習に打ち込み、ここにきて一気に花が開いた。

18年10月の全日本インカレ1万メートルで日本人トップの3位に入るなど、地道に力をつけてきた。そして4年生で初出場した箱根駅伝の4区(20・9キロ)で、学生界のエース相沢晃(東洋大)がマークした1時間0分54秒の記録を24秒短縮する区間新記録(1時間0分30秒)をマークした。

それでも卒業後は大手食品会社のブルボンへの就職が決まっており、陸上部はなく競技生活に区切りをつける考えだ。

レース後は、日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーと並んで記念撮影に応じた。その瀬古リーダーからは20年東京五輪後のパリ五輪を目指し、競技を続行するよう薦められた。本人も想定しなかった快走で当初の予定通り現役引退か、それとも競技続行か、吉田がハムレットのような決断に迫られることになった。

◆吉田祐也(よしだ・ゆうや)1997年(平9)4月23日生まれ、埼玉・東松山市出身。東農大三高から青学大進学。箱根駅伝は3年時まで出場はなく、初出場となった1月2日の4区(20・9キロ)で1時間0分30秒の区間新記録をマークし、総合優勝に貢献した。18年10月の全日本大学選手権1万メートルで日本人トップの3位。1万メートルの自己ベストは28分42秒58。身長164センチ、47キロ。