医師免許を持つランナーとして昨年の東京オリンピック(五輪)候補にも挙がった陸上女子800メートルの広田有紀(26=新潟アルビレックスRC)がシーズンインに備えている。昨季は日本選手権自己最高の2位で自己ベストの2分4秒18を記録したが、東京五輪代表、日本選手権制覇に届かず悔いを残した。アスリートとして可能性を追求する一方で、秋田大医学部で20年に医師免許を取得後、封印してきた医師の道もある。将来の選択に迷いながらもポジティブに春の到来を待っている。

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前向きな言葉に思いを包み込んだ。「ワクワクしています」。広田は5月の静岡国際陸上を今季最初の大きな試合に定めている。6月には日本選手権がある。「理想は日本選手権優勝、現実的には10月の国体で2分0秒台」と目標を掲げた。

昨夏に左足の裏を痛めて以後、リハビリに時間を費やし実戦練習はほとんどしていない。それでも理学療法士のアドバイスをもとに自分でリハビリメニューを作成。食事の管理も徹底してきた。走り込み不足だが、今では「体のどの部分に乳酸がたまっていて、どうすれば分解されるか意識できる」と肉体は研ぎ澄まされた。仕上がった自分をレースでさらすことが楽しみになった。

一方、医師としては「焦りしかない」。秋田大医学部卒業前の20年2月に国家試験に合格。その後は21年東京五輪出場を目指し、研修医になることを延期。新潟RCに所属した。大学の同期は今春2年間の研修を終えて専門医になる。自宅では毎日、国家試験の問題を解くなど“自主トレ”を欠かさないが、「現場に出てからが始まりなので」。眼科の開業医でもある母美恵さん(60)の姿を見て医師を目指した。先送りしている分、医師、そして女性としての将来を心配する母の気持ちは痛いほど伝わる。

自らの性格を「頑固者、要領が悪い」と苦笑い。1つやり切らないと次に進めない。決めた目標に到達しないと、とことんやる。アスリートとしても医師としても、スタンスは同じ。

五輪代表選考を兼ねた昨年の日本選手権は競技生活最後のつもりで臨んだ。結果は2分4秒18で2位。自己ベストで県新記録だったが、参加標準記録の1分59秒50に届かず東京五輪出場はならなかった。狙っていた日本選手権制覇も逃した。大会前、古傷の右アキレス腱(けん)に不安を抱えていた。「五輪は無理かも」と弱気にもなった。「100%の準備ができていなかった。100点の800メートルを走りたい」。競技者として目指すものははっきりした。

医師としての将来も描きつつある。希望は産婦人科。学生時代の実習で出産を目にした。「生命の誕生の瞬間に立ち会い、おめでとうございます、と言える場」。喜びの多さがまぶしく感じた。実習を通して人命のためなら全力を尽くせる自分に気づいた。

高校時代から“夢日記”をつけてきた。数年後から逆算して今やるべきことを設定。その中で新潟高3年時のインターハイ制覇、医学部合格を果たしてきた。24年のパリ五輪、医師としての独り立ち。掲げられるものはある。「でも、今はまだ数年先の夢日記はかけていない」。だからこそ「今年は間違いなく人生の分岐点になる」と堂々と二兎(にと)を追う。揺れ動きながらも視線は前へ。遠回りではない道を全力で踏み締める。【斎藤慎一郎】

◆広田有紀(ひろた・ゆうき1995年(平7)5月20日生まれ、新潟市出身。新潟高では女子800メートルで2年時に国体、3年で全国高校総体優勝。秋田大医学部に進み、16、18年日本選手権4位、19年のインカレ2位。20年から新潟アルビレックスRCに所属。165センチ、50キロ。血液型O。