陸上競技と向き合いながら、子どもとの時間も大切にしたい-。
22年世界選手権男子マラソン代表の西山雄介(30=トヨタ自動車)はこの春、育児休暇を取得した。4月から約1カ月間、社内に新設された「アスリート専用育休制度」を利用。練習を工夫しながら、2歳5カ月の長女、0歳4カ月の長男の育児に携わった。
現役男子選手の育休利用は、同社では初めて。競技と子育ての両立について、思いを語った。【取材・構成=藤塚大輔】
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■長女の言葉…胸に巡った2つの感情
早朝5時過ぎ。西山は2人の子どもの寝顔を見届けると、物音を立てないようにそっと外へ出る。4月の春風を浴びながら、自宅周辺を1時間以上走る。それが育休期間中の1日の始まりだった。
「朝の練習は子どもが寝ている時間を狙ってしていました。朝は遅くとも5時半には練習をスタートします。7時には子どもたちが起きてくるので、それまでには家に帰るようにしていました」
子どもの起床時間に間に合うように、自宅へ戻る。「おはよう」と声をかけると、眠い目をこする2歳の長女から、いつもこう言われた。
「今日もパパがいる!」
それはうれしくもあり、同時に自分自身を見つめる言葉でもあった。
「『今日もパパがいる』と毎朝言われたことが、とても印象深かったです。『パパがいる』と喜んでくれることは素直にうれしかったですが、これまではいないことが当たり前になってしまっていたんだなと、考えさせられる言葉でもあって。うれしい気持ちと、どこか寂しい気持ちと半々でした。今は育休期間も終わって、子どもと接する時間が短くなってしまいましたが、限られた時間であっても、子どもとの時間をもっと良いものにしないといけないと感じました」
数年前までは、西山自身も「いないことが当たり前」と思い込んでいた。
■6年前の何げない返答、胸に残ったモヤモヤ
実業団3年目の19年に結婚。22年夏に世界選手権オレゴン大会へ出場すると、同年11月には第1子となる長女が生まれた。上司からは「育休、どうするの?」と尋ねられたが、西山は利用するイメージが持てなかった。
「育休を取ると競技ができない。選手たちの間でも『俺らには関係ないか』という感じがあって、僕自身もはじめはそう思っていました」
上司からの問いかけに対して「取りたい思いもありますが、競技に支障が出るので取れないですよね」と何げなく返答して、そのやりとりは終わってしまったという。
そのことに悶々とした思いを感じるようになったのは、長女の育児に携わるようになってから。合宿などで家を空ける間、育児は妻に任せきりになった。その間に長女はどんどん大きくなっていく。成長過程を間近で見守ることができず、歯がゆく感じた。
「合宿が月に1回くらいのペースであって、子どもが初めて座った、立った、歩いたという過程を妻からのLINEで見ることが多かったんです。自分の中でもモヤモヤがあって。子どもの成長を直接見たいという思いが強くなって、どうにかして育休を取れないかなと思うようになりました」
そこで24年に第2子の妊娠が分かると、自ら上司へかけあった。
「育休を取れないでしょうか?」
その一言が契機となり、育休取得の制度化が始まっていった。
■目の前で見届けた寝返り「うれしかったです」
思い切って相談すると、会社はすぐに動き始めてくれた。
トヨタスポーツ推進部と人事部が協議を重ね、「アスリート専用育休制度」が新設。選手の状況に応じて練習や大会出場を継続しながら、育休が取得できるようになった。
西山は今年4月に制度を利用。従来の業務時間だった午前9時から午後2時が育休の対象となり、それ以外の時間帯には自宅周辺での練習が可能となった。
「陸上部内で相談した結果、基本的には自宅周りで好きな時間に練習をしても良いということになりました。強度の高いポイント練習も週に2、3回あり、その時だけは部員と一緒に練習をして、終わったらすぐに帰るという感じでした。普段の練習の消化については、監督やコーチに会った時に共有するようにしていました」
育休期間中はいつも以上に育児や家事に取り組んだ。日ごろから積極的に参加していたが、日常的に家族と時間をともにするようになると、さまざまな気付きがあった。
「おむつの取り換えや掃除、食器洗いや洗濯といろいろやりましたが、子どもと遊ぶために家事を中断することもありました。子どもがずっといる状況での家事は大変だと実感しました。普段はそれを1人でしていた妻に対して、あらためて感謝の思いが強くなりました」
この期間では、うれしい瞬間にも立ち会った。生後4カ月の長男が初めて寝返りをする場面を見届けることができたのだ。
「1人目の子の時は直接見ることができませんでしたが、今回は初めて目の前で見ることができました。子どもの成長の瞬間を直接見届けることができてうれしかったです。育休の醍醐味(だいごみ)ですね」
1カ月の育休期間を終えると、部員から「僕も取ってみたい」と声をかけられることもあった。他の企業から、制度の仕組みについて問い合わせもあったという。
西山の声に実感がこもる。
「取得前は大変かなと思っていましたが、会社の理解もあって、競技と両立できました。他のスポーツでも現役で育休を取りたい選手はいると思うので、そのきっかけになればうれしいなと思います」
■“最初はダメ元”から制度化へ「勇気をもって」
日本の男性の育休取得率は上昇傾向にある。
23年に厚生労働省が実施した調査結果によれば、20年に初の2桁台となる12・65%まで上昇。22年の法改正で企業の男性育休制度が義務化されたこともあり、23年には30・1%となった。
一方で課題もある。
育休の取得期間は女性の9割以上が6カ月以上であるのに対し、男性は約4割が2週間未満にとどまる。24年に同省が全国の若年層(18~25歳)を対象に実施したアンケートでは、男性の84・3%が育休取得を希望しており、まだまだ実際の取得率とは大きな差があることも浮き彫りとなった。
西山も今回の取得期間は1カ月だった。
「僕自身も競技をしながら取得することが初めてだったので、今回は1カ月にしました。会社や家族と相談しながらですが、もう少し取ってみてもいいのかもしれません。会社の制度では、子どもが2歳になるまでに2度取得できる仕組みになっているので、次はレースと重なるタイミングで取ってみようかと考えています」
スポーツ界は今、変革期にある。
米大リーグドジャースの大谷翔平投手(31)は、今年4月に11年から導入された産休制度「父親リスト」を利用。7月には日本野球機構(NPB)でも、「慶弔休暇特例」を導入する方針が固まった。これは子どもの誕生や冠婚葬祭などで出場選手登録を外れた際、短期間で復帰できるというものだ。
まだ道半ばではあるが、一部競技などで育休の制度化が広がりつつある。
西山も1人のアスリートとして、言葉に力を込める。
「特に男性アスリートの育休はなかなか聞かないのが現状ですが、勇気をもって会社や上司に相談することが大事だと思います。僕自身も最初はダメ元というか、まさか制度をつくってもらえるとは思っていませんでした。そういう意味では、周囲の理解やサポートも不可欠だと感じます。まずはいろいろな方に知っていただけるとありがたいなと思います」
今日もパパがいる-。
その光景が物珍しいものではなく、当たり前となることを願っている。
◆西山雄介(にしやま・ゆうすけ) 1994年11月7日生まれ、三重県松阪市出身。伊賀白鳳高-駒澤大-トヨタ自動車。大学3大駅伝は1年時の13-14年から全て出走。箱根駅伝は4年連続で区間1桁順位。初マラソンとなった22年別府大分毎日で2時間7分47秒で優勝。同年世界選手権は13位。自己ベストは1万メートルが27分56秒78、マラソンが2時間6分31秒。身長173センチ。血液型A。

