近年、メンタルヘルスに関する事例が多くみられるようになった。著名人によるさまざまな精神疾患の告白もある。すでに「健康」という概念の中にはメンタルも含まれることが常識となっている。

スポーツの世界でも、競技力向上のためにはフィジカルトレーニングと同じくらいメンタルトレーニングが重要となってきた。しかし私の現役時代を思い返すと、「メンタル」の比率は断然少なかったと思う。

選手時代、「メンタルが弱い」。そう言われてきた。自分でも「結果が出ないから弱い。ここ一番でベストタイムが出ないのは、メンタルが弱いから」と思っていた。だから自分の意思でメンタルトレーニングを受けることにした。

紹介してもらったのは、田中ウルヴェ京さんだった。シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)のソウル五輪メダリストで、米国で心理学も学んだメンタルトレーニングの指導者だ。

当時の私は、信じられるものが少なかった。だが京さんのところでトレーニングすることで、自分の感情を細分化し、不調の原因や根本的な弱点にも気付いていった。


現役時代の筆者(2011年世界選手権)
現役時代の筆者(2011年世界選手権)

日本ではコーチと選手の対話の中で、メンタル面の対処をしていくことが多いように感じる。もちろん、コミュニケーションを取って練習プランを考えたり、試合への戦略を立てたりすることは大事だ。そこで特別なメンタルトレーニングが必要だと断言はできない。

ただ、私はメンタルトレーニングをすることで、引退後もスポーツ心理学を自身が学ぶきっかけにもなった。結果的に「ヘルス・リテラシー」を向上させることができたと思っている。

「ヘルス・リテラシー」とは、1986年に世界保健機関(WHO)により作られた健康づくりのための「オタワ憲章」に出てくる文言。これ以降、広く知られるようになった。

「良好な健康の増進または維持に必要情報にアクセスし、理解し、そして利用していくための個人の意欲や能力」として定義されている。ヘルス・リテラシーの中で精神疾患に関するものを「メンタルヘルス・リテラシー」と呼ぶ。そのリテラシーを保つために、1つ紹介したい。

セルフコントロールだ。心理学では、ストレス状況に対して意図的に行う対処を「コーピング」と呼ぶ。このコーピングによってストレス反応は変化する。その中で、頭の中で行う「認知的コーピング」と体を動かして行う「行動的コーピング」がある。

簡単に言うと、認知的コーピングは「まずは深呼吸をして、対処しよう」とか「あの時言われた言葉を思い出そう」などだ。行動的コーピングは「手のひらをリラックスさせて目を閉じる」「この場所を少し離れて、顔を洗いに行く」などだ。

私もよく、深呼吸を3回していい空気を吸ってネガティブな空気を吐くイメージで、気持ちの整理をしたりする。水を飲んだり、おいしいコーヒーを飲んだりすることもある。

またセルフコントロールができない時は、考えていることを4W1H(いつwhen、どこでwhere、誰がwho、何をwhat、どのようにhow)の切り口で書き出してみるといいといわれている。

こんな日々の中でちょっとしたスキルを持っていると、自身の感情が紐解かれ、その時間が自分に集中する時間にもなり、「漠然とした不安」から距離を離してくれると思う。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)