今月22日から27日まで、飛び込みのマレーシアグランプリへ行ってきた。

もちろん選手としてではない。今回は国際審判を修得するためだ。引退してからずっと目標にしていた国際審判。まずは国内での実績を積むことから始まった。しかし、なかなか国際審判の修得に進むことが出来ずにいた。なぜなら、世界を襲った新型コロナウイルスによって、ジャッジスクールの開催が何年も中止になっていたからだ。

マレーシアのジャッジスクールに参加しました
マレーシアのジャッジスクールに参加しました

クアラルンプールへ行くことが決まったのは、出発の2週間ほど前。定員30名の枠に1枠だけキャンセルが出たと連絡があった。急に訪れたチャンス。しかし、行くべきなのかとても悩んだ。コロナは世界的にも落ち着いてきたように感じていた。しかし、子供たちのことや夫の仕事のことなど課題はたくさん。いろいろと考えながら悩んでいる私を見ていた夫が、「協力するよ」と背中を押してくれた。「それならやるしかない!」と、すぐに手続きを始めた。

もちろんだが、国際審判となれば講習もテストも全て英語だ。分かってはいたものの、ほとんど準備ができていなかった。記憶をたどると、中学3年生で初めて世界の舞台に立った時から「英語を頑張ろう」との志を立てたはず。しかしいまだに苦手意識がある。特に引退してからは生の英語に触れる機会がほとんどなくなった。そのため「英語の壁」がさらに厚くなっていた。

とりあえずオンライン英会話に登録した。それ以外にも、過去のテスト問題を繰り返し解いたり、耳を慣らすためにテレビも音楽もできるだけ英語で流した。とにかく出発まで、隙間時間を見つけては取り組んでいた。

ジャッジスクールに参加するためには、まずFINA(国際水泳連盟)への登録が必要だった。しかし、急だったこともあり、なかなか登録がうまく進まなかった。その他にも、航空チケットやホテルの予約、空港までの送迎の手配など、やらなければいけない事はたくさん。さらには、コロナ禍の間にパスポートまで切れてしまっていた。これは何よりも大問題。早急に手続きをした。疲れを感じる暇もないほどバタバタな日々だった。

それでも何とか出発の日を迎え、クアラルンプールに向けて飛び立った。

到着してホッとしたいところだったが、その時点でも、まだジャッジスクールの詳細な連絡が来ていなかった。時間も場所も分からない。安心できない状態で過ごしていた。しかし、幸運なことにホテルのロビーでたまたま担当者を見つけることができた。そこでようやく、詳細を受け取った。こんなにハラハラする旅は久しぶりだった。

ジャッジスクールは3日間。初日は、飛込み競技のルールや採点方法についての講義がメインだった。2日目は、筆記テストと実際に行われている試合をジャッジする実技。この筆記テストが、今回のジャッジスクールに臨む中で、最も大きな不安要素だった。何度も過去の問題を繰り返し解いていたが、違う問題が出題された時のことを考えると、不安が消えることは無かった。

3日目は、前日に引き続きプールでの実技と、テストの結果発表だった。テストは100点満点中、85点以上がクリアとなる。他の受講生とドキドキしながら名前を呼ばれるのを待った。久しぶりの緊張感だった。しかも、こういう時に限って私の名前が呼ばれたのは一番最後。結果は、筆記テストが97点、実技が91点で何とか合格ラインだった。無事、Certificate(証明書)を受け取り、張りつめていた心が緩んだ。

テストを終えたみなさんと
テストを終えたみなさんと

帰国は次の日の午後。全日程を終えて、ようやく待っていてくれた家族と共にゆっくりとした時間を過ごすことができた。

急に始まり、あっという間に終わりを迎えたジャッジスクールの旅。選手の頃とは違い、今は家族のことを考えるとなかなか行動に移しづらいが、思い切ってチャレンジしてみて本当に良かった。何よりも協力してくれた家族に感謝である。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)