柔道男子で五輪2連覇の大野将平(31=旭化成)のすごみは、手に詰まる。これほどまでにいびつな両手は見たことがない。
リオデジャネイロ五輪直前、「手の写真を撮らせてほしい」とお願いした。「何でですか」と照れながらも、シャッターを押させてくれた。その写真は金メダル獲得の紙面に大胆なレイアウトで載った。
なぜ、手にこだわったか。中学校1年生、山口県から上京して柔道私塾「講道学舎」に入門した田舎の少年は、同学年で5番手。ひ弱で、自身も「入って1週間で人生を間違えたと、こんな厳しいところが世の中にあるんだと思った」という壮絶な稽古が日常。
恩師の持田治也氏はただ、弱さの中に才を見た。「握っているな」。どんな劣勢でも、昔より厚みが増した道着を離さない。しっかり握るほど摩擦は増し、皮膚がずるむけになり、血がにじむ。その繰り返し。指は太く、変形していく。やがて周囲が大野と組み合うのを嫌がるようになった。妥協のなさ。それが本質だった。だから、その象徴としての手の写真を載せたかった。
それから7年。再び、その手を見たくなった。英国での指導者研修へ向かうことを発表した7日の会見後、頼むとニヤッとした。こちらの意図をわかったのだろう。机の上にバン! と広げた極太、極厚。リオ時と見比べると、やはり異様ぶりは増していた。中指、薬指の一層の隆起は、金メダリストになっても変わらずに妥協なき握りを模索してきた履歴書だった。
やはり、と書いたのは近々に訳があった。昨年11月、行く末に悩む日々の稽古を見た。相手に天理大の学生を迎え、もう15分以上、自ら技を仕掛けずに、組み手の攻防に終始している。相手は仕掛けてきても、上半身の道着を全部握る選択肢にしながら、いつまでも切らせない。
「彼は81キロ級でうちの一番手なんですけど、めちゃくちゃ受けが強い。だから我慢比べして。相手が握れなくなってくるまで」。聞けば、テーマは妥協だった。悩める時期にも、講道学舎で道を開いた原点の姿を自らが思い返すような、その姿勢こそが大野だった。
会見で語った。
「やはり繰り返ししかないんです。毎日同じことは飽きる、嫌になる。それでもひたすら自問自答して、毎週、毎月、1年、10年と繰り返すだけが、自分を深く遠き所に導いてくれると思ってます」。
その手が、その言葉を証明している。
「持って投げる」。釣り手と引き手を持って豪快に技をかける。日本柔道の体現者として、何時でも貫いた。ただ、その表現は正確にはすごさを伝えない。「握って投げる」。それを成した手こそが、「柔道家」たらしめた極上だった。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「We Love Sports」)