女子200メートル平泳ぎ決勝で、渡部香生子(18=JSS立石)が2分21秒15で、女子200メートルバタフライの星奈津美に続いて金メダルを獲得した。3日の200メートル個人メドレーの銀メダルに続く2個目のメダルは最も輝く色となった。中学生のときに右肩をこわし、他に泳ぐものがなく始めた平泳ぎ。ケガの功名で始めた種目だったが、18歳で世界の頂点に立った。来年のリオデジャネイロ五輪代表にも内定した。

 ラスト50メートル、渡部が強さを見せた。世界記録保持者ペダーセンにピタリとつけて、最高のレースをした。25メートル付近でとらえると、最後は体1つ分引き離して金メダル。「優勝できて本当にうれしいし、応援してくれた人への感謝の気持ちでいっぱいです。(星)奈津美さんの優勝がすごく刺激になり、それに続こうと思った」。涙で途切れがちの声で、話した。

 前哨戦の欧州GPでペダーセンに3連敗した。「リッケ(ペダーセン)ちゃんに勝たないと金メダルはない」。先行逃げ切りのペダーセンに対抗するため、欧州GP後はスペイン高地合宿で後半のスピードと持久力を磨いた。この日の驚異的なスパートこそが、苦しい練習の成果だった。

 肩をこわして始めた平泳ぎだった。幼稚園の年中から水泳を始めた。小学生から自由形とバタフライで全国大会に出場。大きな期待を受け、小学6年で1日1万メートルを泳ぎ込むこともあった。しかし、練習のしすぎもあって右肩を痛めた。中学1年の夏には右肩が動かせなくなった。

 大好きな水泳ができなかった。それでもスイミングクラブには毎日通い、プールサイドで縄跳びを繰り返した。2カ月後に水泳を再開。当時指導していた麻績隆二コーチ(52)は「他種目に比べて肩関節の可動域の小さい平泳ぎでいこう」と決めた。一番苦手な種目だったが、才能はすぐに開花。1カ月後に標準記録を突破し、翌年日本選手権に出場するまで力をつけた。

 ケガから3年後の高校1年、ロンドン五輪の200メートル平泳ぎで準決勝に進出した。だが、翌13年の日本選手権同種目では9~16位決定のB決勝で最下位。この種目での世界選手権出場を逃した。「世界で一番戦える」とのこだわりを持っていただけに、出られない悔しさは大きかった。当時から師事した竹村吉昭コーチ(59)とタッグを組んで2年。今大会は今季世界ランク1位で臨んだ。

 今大会は200メートル個人メドレーで銀メダル。100メートル平泳ぎはメダルまで100分の1秒差の4位。そして、ようやくつかんだ金メダルとリオ切符。「しっかり五輪まで準備できる期間がたくさんある。悔いなく最高の準備を五輪まで続ける。今日はぐっすり眠れる」。念願の頂点に立った18歳は、来年の五輪でも表彰台の中央を狙う。【田口潤】

 ◆渡部香生子(わたなべ・かなこ)1996年(平8)11月15日、東京都葛飾区生まれ。4歳から水泳を始める。中学3年の11年ジャパンオープンで100、200メートル平泳ぎの2冠を獲得。12年日本選手権200メートル平泳ぎで2位に入り、ロンドン五輪代表。ロンドン五輪は準決勝敗退。13年世界選手権は200メートル個人メドレーで準決勝敗退。100メートル平泳ぎで予選落ち。昨年パンパシとアジア大会の200メートル平泳ぎで金メダル。早大1年。166センチ、58キロ。