世界ランキング6位の日本が、3位決定戦で同17位のデンマークを破って銅メダルを獲得した。

 松山恭助(20=早大)西藤俊哉(20=法大)敷根崇裕(19=同)のメンバーで臨み、10点目は先行されたものの、それ以降は圧倒。3選手が連続得点を重ねて45-25で快勝した。日本男子フルーレのW杯メダルは15年米国大会の銀以来2年ぶり14度目。決勝では米国が45-34で韓国を下して優勝した。

 日本協会の太田雄貴会長(31)から主将を引き継いだ松山は、胸を張って言った。「今日が僕たちの東京五輪へ向けたスタートになります。メダルを取りたいです」。準決勝の米国戦がこのコメントの源だ。代表が若手中心に切り替わった昨秋以来、個人の世界10位以内をそろえた米国には歯が立たなかった。

 しかし、この日は粘った。序盤に先行されながら西藤が踏ん張って松山が流れをつなぐ。一時は9点差をつけられながら、最後に登場した敷根の3連続得点で35-36と1点差まで肉薄した。最終的には7点差も選手たちが手に入れた自信は大きかった。

 「僕がしっかりポイントを取れていたら勝っていた。今日の負けは自分の責任だと思う」と敷根。確かに11得点、19失点の結果が勝敗を分けたが、それをカバーしようとする強い気持ちが松山と西藤を突き動かした。小学校時代からライバルであり、親友。同世代としての絆の太さが最大のストロングポイントになる。

 今年7月の世界選手権では西藤が銀、敷根が銅メダルと個の力も急激に伸びている。「世界一の米国から38点取れている。力はついてきていると思う」と松山。西藤は「米国との残り7点をこれからどう詰めていくかをみんなで考えていきたい」と言葉をかぶせた。本来なら東京五輪では除外される予定だった男子フルーレ団体。6月に実施種目として正式決定したことも追い風になる。これまで4位が最高だったチームが、ホーム東京で初めてメダルを取った。世界ランク10位以内には誰も名前を出せていないが、これから試合を重ね、経験を重ねていけば、20年の夏には若くて強い騎士(ナイト)たちの姿が見られるだろう。【小堀泰男】