天理大の小松節夫監督(57)が、就任26季目で初の大学日本一を手にした。有力選手が他大学に流れる中で無名選手を磨き、家族と寮に住み込んで成長を見守った。同大出身。1年時に3連覇を見届け、CTBで出場した4年時には決勝で今回と同じ早大に惜敗。33年の時を経て雪辱した。天理大監督として過去2度準優勝を経験し「『4度目』という思いがありました」と長年の思いをかみしめた。チーム作りの裏には部員との絶妙な距離感があった。

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表彰式を終え、選手に促された小松監督が4度、宙に舞った。涙はない。「うれしさが勝ちました。学生の笑顔とか、涙を見て、本当に幸せな気分です」。そう言って少し笑った。

午前7時10分。全部員168人との体操から1日は始まる。肩書は「寮長」。01年に関西Aリーグ(1部)復帰を決め、下宿生の寮を探した。初めは古いアパートに35人程度が居住。新居で暮らしていた小松監督も「人を雇わずに済む」と家族で寮に移った。12年からは場所を変えて全寮制。午後10時に門限の確認も担当するが、食事は「僕がいると嫌でしょう」と部員と別だ。

その距離感は二十歳前後で学んだ。天理高卒業後、パリの名門ラシン・メトロに2年間留学。「日本は厳しい練習を我慢してやる。自主性を知った」。帰国後に3年遅れで同大へ入学し、1年時に高校日本代表で同期だった平尾誠二さんらが大学選手権3連覇を飾った。主力のCTBに定着した4年時は、決勝で早大に10-19で敗れた。

93年に天理大のコーチとなり、2年後から監督。関西の中で力をつけても、有力選手は他大学に流れた。チーム作りの根幹は「体張れるのか、ハードワークできるのか。それができてスキルがある」。留学生も高校の実績も関係ない。全寮制は帝京大などを参考にし、今大会中に初戦で破った流通経大の攻撃を取り入れる柔軟性を持ち合わせた。

天理大は過去2度、決勝で散った。「実は私の中で『4度目』という思いがありました」。33年前と同じ場所。改装された真新しい国立に立ち同大4年時の悔しい思いを景色に重ねた。

「関西で同志社に次いで、2校目になりたい思いはずっとありました。関西のチームでも努力すれば、日本一になれる。関西リーグ全体のレベルが上がっていくと期待をしています」

関西勢36大会ぶりの優勝を静かにかみしめた。【松本航】