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今日の誕生日

小塚崇彦(1989年)→Pick Up!


Pick Up! 小塚崇彦

10年バンクーバー五輪8位入賞の男子シングル選手が、32歳となりました。


2014年全日本選手権
2014年全日本選手権

生まれは愛知・名古屋市。競技を始めたのは5歳でした。祖父の光彦さん(故人)は愛知県スケート連盟の創設に携わり、父の嗣彦氏は68年グルノーブル五輪に出場。スケートと深い関わりのある家庭で育ちました。

ジュニア時代から国際大会で活躍し、06年世界ジュニア選手権(スロベニア)で初優勝。愛知・中京大中京高に通っていた17歳は「外国に知り合いが増えた」と語るなど、物おじすることなく、大舞台を楽しむ姿勢がありました。

翌06-07年シーズンにシニアに転向。07年から5大会連続で全日本選手権の表彰台に立ち、10年には初優勝を飾りました。前シーズンにバンクーバー五輪に出場し「父から『優勝した』と聞かされていた全日本で優勝できてうれしい」。ジャンプの転倒で表情は晴れませんでしたが、その偉業をかみしめました。

11年の世界選手権(モスクワ)では、パトリック・チャン(カナダ)に次ぐ2位。フリーの演技後には両手でガッツポーズし「今までで一番の演技。これ以上できることはない」と笑顔を見せました。15-16年シーズン限りで現役引退するまで、日本のトップ選手として数多くの功績を残しました。

現役引退後はスポーツの普及活動にも尽力し、スケート用具の開発にも携わっています。日刊スポーツでは評論も担当し、元選手の視点でスケーターの活躍を見守っています。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2021年1月29日
2021年1月29日

21年1月29日、冬季国体フィギュア成年女子SPの演技を終えて笑顔の坂本花織。


今日の出来事

浅田真央がバンクーバー五輪エキシビションでプルシェンコを観察(2010年)

女子シングルで銀メダルを獲得した浅田真央(19=中京大)が、4回転ジャンプの第一人者プルシェンコ(ロシア)と急接近した。27日、各種目上位5人(組)によるエキシビションに出場。14年ソチ五輪を見据え、昨夏から女子では成功例のない4回転トーループに取り組み始めただけに、エキシビション前の練習ではリンクの端に座り込み、プルシェンコの4回転の踏み切りや着氷を観察。「間近で4回転を見ることができたのはいい機会。簡単に跳んでしまうので本当にすごい」と感心した。

そんな浅田の熱視線をプルシェンコも感じ取っていた。報道陣の「浅田選手は4回転を跳べると思うか」という質問には「イエス・シー・キャン(彼女ならできる)」と、米オバマ大統領ばりに言い切った。続けて「彼女が望めば、ぜひ一緒に練習したい」と、直接指導に名乗りを上げた。

急接近はこれだけではなかった。プルシェンコによると練習後、互いに「おめでとう」と祝福し合うと、自らのほおを指さし、浅田にキスを求めたという。「皇帝」の異名を持つ既婚のプルシェンコも浅田は気になる存在のようで「真央はトリプルアクセル(3回転半)を3回も決めてすごい」と絶賛した。

プルシェンコは、自身と浅田を重ね合わせていた。今大会は4回転を2度決めたが、1度も跳ばなかったライサチェクに及ばず銀メダル。浅田は女子では初めて、1大会で3度も3回転半を決めたが金妍児に敗れた。浅田は「想像していたよりもすごい、最高の舞台だった」と、初五輪を振り返った。同じような悔しさを味わった皇帝から世界最高の技術を習得して、4年後は雪辱する。