24日に53歳で死去した92年バルセロナ五輪柔道男子71 キロ 級金メダルの古賀稔彦さんの葬儀・告別式が29日、川崎市内の寺院で営まれた。柔道関係者ら約1000人が参列した。

弔辞はバルセロナ五輪男子78 キロ 級金メダルで、柔道私塾「講道学舎」で苦楽を共にした後輩の吉田秀彦氏が読み上げた。進行役から「お願いします」と名前を呼ばれてから約1分間は言葉が出ず、涙で言葉に詰まりながら大好きな先輩へ6分37秒のラストメッセージを送った。

以下、全文。

「早すぎますよ。亡くなる前日、会いましたね。その時、手を握って頑張ってと声をかけたら、先輩は手を握りかえしてくれましたね。その感触は今でも残ってます。あれは『俺頑張るよ』という返事だと思ってました。先輩との出会いは私が中学校3年の時。講道学舎で。その時、先輩は高校2年生。既に柔道界のスーパースター。もちろん私の中でも憧れの先輩でした。ヒョロヒョロで柔道も弱かった私を投げやすいからといって付き人にしてくれましたね。柔道以外でも耳かきがうまいからといって毎晩のように先輩の部屋に呼んでくれましたね。先輩の部屋には学舎では禁止のTVが隠してあって、先輩の耳かきをしながらそのTVを見るのが楽しみな時間でした。先輩は大学生になってもいつも学舎の私の部屋に泊まりにきてましたね。気が付くと先輩のぶっとい腕で、腕枕で寝てたこともありましたね。そして私のパンツを勝手にはいて、じゃあまた後でといって練習に行ってましたね。先輩の近くにいたから柔道でも先輩に追い付きたいと思うようになり、いつか同じ世界の舞台で戦いたいという夢ができました。その夢が実現したのがバルセロナ五輪。日本中から金メダル確実と言われていた先輩。けがをさせてしまった時、頭の中が真っ白になりました。今でも思い出します。その日、選手村に帰ると、先輩私に気を使って『俺これで金メダル取れるよ。だからお前も絶対に取れ』といってくれましたね。でも実際先輩はベッドから動くこともできない状態で、いつ棄権を申し出るのかと思っていました。それから試合までの10日間はほとんどの食事を取らないで減量に励み、本気で金メダルを取ろうとしてる、その姿を見て、この人なら本当に金メダルを取れるかもしれないというふうに思わせてくれました。古賀先輩の頑張りに報いるためにも先輩の前日に試合がある私は絶対金メダルをとって先輩にバトンをつなごうという思いでした。この先輩と過ごした10日間で強い精神力、勝つためには何をしなければいけないかを学びました。そんな強い精神力を持った先輩がまさかがんに負けると思いませんでした。ともに過ごしたバルセロナの10日間を見ていたので、先輩なら必ずがんに打ち勝ってまた奇跡を起こしてくれると信じていました。今まで先輩のマネばかりしてきました。先輩のマネをすれば強くなるんだな。先輩がひげを生やせば僕も生やして試合に出ました。でもこんなに早く死ぬことだけはマネできません。もっと先輩と語りたかったです。天国でゆっくり休んで下さい。先輩、東京でやる五輪、見たかったですよね。日本選手の活躍を楽しみに見守って下さい。先輩にサヨナラを言いたくないのでお疲れさまでした。 令和3年3月29日 吉田秀彦」