いま打ち込む拳は何のため…。

新型コロナウイルスの影響は、東京五輪開催の可否によらず、すでに多くのアスリートの運命を狂わせている。ボクシングでは、6月に開催予定だった世界最終予選の中止が2月に決定。出場者は世界ランキングで選出されることになった。日本は昨年3月のアジア予選で敗退した男女5人が最終予選に回り、ラストチャンスにかけるべく、1年を過ごしてきた。だが、世界ランク方式では出場はかなわない。突然、戦う機会すら奪われた、3人のいまに、3回連載で迫る。

男子ライトヘビー級の梅村錬(23)の動機は村田諒太だった。12年ロンドン五輪。「ミドル級で金メダルを取って、それを見たときに自分も五輪で金メダルを取りたいと。4年間で、チャンスはその年の1回だけ。県予選から全部負けないで世界一になる。すごいかっこいいなと」。

リベンジマッチが興行的な成功を生むプロの世界と違い、1度負けたら、基本的に再戦はない。「本当に負けられないのはアマチュアだな」。小5で始め、中3の確信が、道を決めさせた。

作文に記した。「16年のリオデジャネイロオリンピックに出たいです。リオデジャネイロがダメだったら、次のオリンピックに必ず出て活躍します」。

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小5で初めてグローブをつけ、「華がある」と漠然とプロの世界に憧れていた少年は、五輪という人生の目標に直進していく。江南義塾盛岡高に進むと高校5冠、拓大ではライトヘビー級に階級を上げ、1年ほどで19年11月の全日本選手権を制し、アジア予選切符をつかんだ。

手の届く位置まで駆け上がり、だが、そのアジア予選では1回戦で判定負け。そこにコロナ禍が重なり、世界最終予選の延期が決まった。「強くなるチャンス」と前向きに、制限の中でももがいたこの1年だった。

部活動が中断されていた中でも、拓大の練習場を特別に開けてもらい、コーチも付きっきり。後輩のマネジャーはロードワークにも付き合ってくれた。「すべてが特別で、だからこそ出たかった」。

支えに結果で応える場を奪われた時は、「ウソだろ」と声が漏れた。最終予選の中止をネットニュースで知ると「信じたくなかった」。数日後、練習中にコーチから事実だと知らされると、サンドバッグをたたく拳から力が消えた。「『今日は動きたくないな』と。本当に無になった」。

急に今後の不安が頭を巡る。早退し、自宅に戻るしかなかった。眠れぬ夜を過ごし、翌日の練習でも体は正直だった。「何のために動かしているんだろう」。

身が入るわけもない姿に、手を差し伸べたのはこの1年を共にしたコーチだった。世間話をきっかけに、「最終予選はなくなったけど、もしかして辞退する国もあるかもしれない。小さい可能性かもしれないけど、そこを信じていこう」と諭された。

「逆に情けなかった。1%でもあるなら頑張ろう」。決意の時。「強くなろう。選んでもらえたときにチャンスがあった時のために」。

梅村はいまも、「もしも」にかけて、パンチを打ち込む。それは、折れそうになる心との闘いで、そして思う。「1度でも負けたら、次のチャンスは来ない。見ている人もたくさんいる。いま頑張って、自分でチャンスを引き寄せられるように」。それは次がない試合を続けて、世界の頂点に立った村田の五輪での姿に似る。折れたら、次はない。だから、奮い立ち、腕を動かし続ける。

「リングじゃないけど、闘ってますね」

梅村は言った。津端、鬼頭を含め3人はリングに上がる前に道を絶たれた。ただ、今もこれからも、その闘いは終わっていない。【阿部健吾】(おわり)

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