毎週日曜日掲載の「ラグビー流 Education」。今回は高校ラグビーの名門・桐蔭学園(神奈川)を率いる藤原秀之監督(51)と、元日本代表の今泉清氏(52)による対談の第2弾。時代とともにジュニアの環境も気質も変わり、必然的に「教え方」「接し方」も変わってきました。多くのラグビー選手を育てた両氏の言葉には、スポーツ指導だけでなく「人を育てる」ためのヒントがあり、それは社会にも通じる要素が多く含まれています。(以下敬称略)
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大人は「自分はこう育った。こう教わった」と、経験による先入観を抱きがちです。両氏の高校時代は「練習中に水を飲んではいけない」とか「先輩より先に帰ってはいけない」と言われた時代。でも、今は非科学的な“しごき”や上級生のパワハラは通用しません。藤原は「せいぜい故障者をイジるくらい。逆に上級生がイジられることも。生徒同士で言われた方が、我々(指導者)から言われるよりいいのかも」と笑う。ジュニアの気質も価値観も変化しています。教える現場で、2人はどう感じているのでしょう?
今泉 言葉の意味さえ変わってしまっている場面がありますね。例えば「頑張れ」と言われたら、以前は「がむしゃらに頑張る」だった。今は「既に頑張っているのに、これ以上どう頑張ったらいいの?」となる子もいる。「頑張れ」は励ましではなく「突き放された」になり、「自分は嫌われているから、突き放されるんだ」となってしまうケースもあります。
藤原 伝え方って大事ですね。同じ言葉を話していても、A君とB君ではとらえ方が違う。10人が10人同じではない。だから個別面談が必要なんです。以前は指導者側から話す一方通行が多かったけど、今は各生徒にどういう課題があり、どう修正して、どう試合につなげていくかが、指導の主流かもしれないです。
今泉 以前は10人いたら10人に同じ教え方だった。今は各個人に分かるように説明しないとならない。自分の話し方、自分の言葉ではなくて、その相手に分かる言葉でね。
かつての運動部は、指導者がチーム全体に指示を出し、全員で「ハイ!」と答える形が多かった。一方通行で、全員が同じ教えを受けるいわば“軍隊的”。現在はより1人1人に向き合うことと、「双方向性」が求められるという。
今泉 「○○しなさい」と指示を出して、やらせてみると、自分が伝えたイメージと受け取った側のイメージがまったく違うことがあるんですね。だから、どんなふうに受け取ったか、確認します。僕が留学したニュージーランドでは、指示に対して「わかった」と答えると、必ず「どのようにわかったのか?」と確認される。最初は「?」と思ったけど、必要なことだと実感しました。
日本では指導現場だけでなく社会や組織でも、この確認のあいまいさが大問題の火種になりうると、今泉は警鐘を鳴らす。
一方、100人近い部員を抱える桐蔭学園ラグビー部で、個々と向き合うのは難しそうだが…。
藤原 難しいといえば難しいです。100人が同じ位置にはいないですから。でも、その層(レベル)に合った指導をしないと、長続きしません。夏合宿では3、4グループに分け、それぞれに担当スタッフ(コーチ陣)をつけます。
各スタッフが担当グループ全員に目を配り、スタッフ間で情報を共有する。各生徒に対して常に「目と声」があることが、大所帯の中で“落ちこぼれ”を生まない要因だろう。
藤原 (高校)3年間しかない中で、個々の強みをつくって、個性を伸ばしてあげることが、最も大事だと思います。スタッフとも「彼はどこが一番伸びるんだろう?」と、よく話します。その面が試合で少しでも出れば、一気に伸びることがある。そんな成功体験のためなら、ミスに目をつぶることもありますよ。
同時に情報があふれ、何でも与えられる時代だからこそか、両氏とも「考えさせる」を重要視する。
今泉 特にミスや失敗した時は、本人に考えさせることが大切。怒ったり、ダメ出しをする前に「どうしてそのプレーをしたのか」「どんな考えだったのか」と問いかける。会話は脳を活性化させます。その会話の中で「うまくプレーしている絵」を思い浮かべさせたり、「自分1人では勝てない」ということを気づかせたい。
藤原は「考えさせる」べく、自ら引くことも。
藤原 課題をどうやって解決するか。自分が出たくなることもあるけど、3歩引いたところで見ていて、生徒だけで解決できそうなら下がるし、時間がかかりそうだと思ったらヒントを出す。そこで止めて、最後までは教えない、というのがいいのかなと…。
今泉 子どもは「怒られたくない」という気持ちが強い。だから、怒られると思考停止、考えるのをやめてしまいます。さらに「失敗して怒られるよりは何もしない方がいい」と消極的になる場合も。それに慣れてしまうと、社会に出ても「指示待ち」になってしまうのではないでしょうか。【構成=岡田美奈】
◆今泉清(いまいずみ・きよし)1967年(昭42)生まれ、大分市出身。6歳でラグビーを始め、大分舞鶴高ではフランカー、早大でBKに転向し、主にFBとしてプレーした。華麗なステップと正確なプレースキックで、大学選手権2回優勝(87、89年度)、87年度日本選手権では東芝府中(当時)を破っての優勝に貢献。ニュージーランド留学後、サントリー入り。95年W杯日本代表、キャップ8。01年に引退した後は早大などの指導、日刊スポーツなどでの評論・解説、講演など幅広く活躍。
◆藤原秀之(ふじわら・ひでゆき)1968年(昭43)東京生まれ。大東大第一高でラグビーを始め、85年度全国選手権でWTBとして優勝。日体大に進む。卒業後の90年に桐蔭学園高で保健体育の教員、ラグビー部のコーチとなり、02年から監督に。同部は全国選手権に96年度初出場、昨年度まで4回連続17度出場。決勝進出6回、優勝1回(10年度、東福岡との両校優勝)で当時のメンバーに日本代表の松島幸太朗がいる。全国選抜大会では17年から3連覇。今や「東の横綱」と呼ばれるまでに同部を育てた。