<白鵬に至るSUMO道:3>

 高見山が種をまき、小錦が育て、曙太郎(45=全日本プロレス)が花を咲かせた。93年春場所、角界に初めて日本人以外の横綱が誕生した。88年春場所初土俵。同期には若貴兄弟、魁皇、和歌乃山、力桜らがいたが、その中で最も早く横綱昇進を果たした。

 曙

 横綱になりたい、ではなかった。ならなきゃいけなかった。自分のことより、東関親方、小錦関のためだった。横綱になった時、自分より親方の方がうれしかったと思う。

 高見山や小錦の苦労を知り、2人の愛情を受けて育った。何とか恩返しがしたいという一心で稽古に励み、頂点に上り詰めた。しかし、外国人として初めて見る高みは、曙の意識を変えた。外国人の3文字は、横綱の使者を迎えた時、頭の中から消えた。

 曙

 横綱になったらもう、日本人、外国人じゃない。相撲協会のトップとしての責任をどう果たすか。それだけ。それを現役の間、ずっと考えていた。気の休まる暇はなかった。

 その意識は、大鵬親方や北の湖親方ら先人の大横綱を見て抱いた畏敬の念や、高砂一門で稽古を付けてもらった千代の富士や、北勝海ら当時の現役横綱を見て生まれた。本場所での優勝争いだけではなく、協会の看板としての立ち居振る舞い、さらに次の横綱を育てるという責任を感じ、実践する資質を備えていた。

 曙

 自分が横綱になった時、大鵬さんの優勝32回は全く手の届かないところ。ただ2ケタ優勝だけはしたいと頑張った。でも白鵬は大横綱の資質を持っている。土俵の態度、勝負への気持ち、協会への気持ち。それを持っているから32回も33回も優勝できた。

 現役時代、日本人以上に日本人の心を持っていると評された曙。その横綱としての生き様が、日本人の外国人力士を見る目を変えたとしたら、それが、無形の遺産として今日の白鵬の活躍につながったのかもしれない。【桝田朗】(つづく)

 ◆曙太郎(あけぼの・たろう)1969年5月8日生まれ、米ハワイ州オアフ島出身。88年春場所初土俵。93年春場所、横綱昇進。幕内優勝11回。ライバル貴乃花との幕内対戦成績は21勝21敗。01年初場所を最後に引退。03年格闘技界へ転身。05年プロレス転向