元ロッテの里崎智也氏(野球評論家)の「ウェブ特別評論」を掲載中。38回目は「WBC2次ラウンド振り返りと決勝Rでの注意点」です。

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 侍ジャパンが日本初の無傷6連勝で4大会連続の準決勝進出を決めた。

【2次ラウンド振り返る】

 石川、菅野が予想外の投球だった。強化試合、1次Rの投げっぷりでは崩れるとは思わなかったが、初戦(対オランダ)で石川が3回5失点、同2戦目(対キューバ)で菅野が4回4失点と本来の実力を発揮できなかった。

 石川はロッテでも中4日登板を経験したことがなかったのではないか。第1R(対キューバ)で4回58球を投げ、球数的には中4日も問題ないと思うが、世界戦の精神、肉体にかかる負荷は球数では計り知れない。疲れているように見えた。

 キューバ戦の菅野も変化球が高かった。一時2点ビハインドの展開。石川の投げた試合も一進一退の攻防が続き、1、2戦ともに1歩間違えば負けてもおかしくない綱渡りだった。2次R通じて中継ぎ陣の踏ん張りが大きかった。菊池のスーパープレーも随所に光った。菊池は予選6試合で10点ぐらいは防いでいる。それもここ一番でのビッグプレー。私がMVPを選ぶなら菊池。守備からリズムをつくって攻撃につなげた。

 心配していた山田と青木も徐々に調子が戻ってきた。

 山田は第2Rのキューバ戦で2本塁打を含む3安打、イスラエル戦で2安打。打撃で足を下ろしながら相手投手とのタイミングを取れるようになった。DHで守らないため、打撃面でのリズムを不安視されていたが払拭(ふっしょく)された。

 青木も打率こそ2割だが、イスラエル戦で最後に1本出て気分よく準決勝に臨める。準決勝からは青木の力が一番必要になる。チームメートに生でメジャーで対戦した経験(相手の情報)を伝える、体現して見せることが求められる。

 青木の隠れた打撃面でのファインプレーがあった。第2Rキューバ戦、2点を追う5回1死二、三塁で二遊間の守りが深いと判断。自身の打撃の調子を考慮し二塁ゴロをコースを狙って転がし、三塁走者を生還させた。続く筒香の中前安打で同点となるのだが、青木の打撃は単純な凡打ではなく、計算された“好凡打”だった。

 1、2次R6戦終えチーム打率3割1分9厘と打ち勝っているため目立たないが、計22失点(自責21)は少し多い気がする。準決勝以上は失点をいかに防げるか。

【決勝Rでの注意点】

 私の体験から順応性が求められる外的要因を挙げる。

(1)乾燥

 米西海岸は非常に乾燥する。東京ドームは空調が効いており、湿気もある。ほどよく汗ばむためWBC球も滑りにくい。米ロサンゼルスで手はカサカサ、ボールは一段と滑りやすくなる。06年、09年に2大会連続でWBCに出場した渡辺俊介氏は、これが同じボールなのかというくらいに米国では感覚が異なり、慣れるまで多少時間がかかると話していた。

(2)寒さ

 日中は暖かいが夜になると冷え込み厳しく、寒暖差が激しい。ドジャースタジアムは小高い丘を登った場所に位置するため、余計そう感じるだろう。寒い中で予選Rと同じパフォーマンスが発揮できるか。体を冷やさない工夫を。

(3)ナイター

 準決勝は現地時間のナイター時間になる。屋外でのナイターはボールの見え方が違う。またボールが風にどう影響されるか。照明はどうか。屋外でのナイターはほとんどの選手が今季初だと思う。練習試合を組むかもしれないが、暗い環境での目の慣らしも大事。

(4)硬い土と天然芝

 国内でWBC仕様にブルペンを硬く作っていたケースもあったが、本場のマウンド、打席はハンパない硬さだ。その中で投手、打者が順応できるか。ワンバウンドの跳ね方も違う。球が上がらず滑っていく。イメージとしてはゴルフの水切りショットのボール軌道が近いか。人工芝から天然芝に変わる。土か硬いため、逆に守りやすい選手がいるかも知れないが、芝と土の変わり目、芝で打球の勢いがころされる点、バント処理のライン上の転がり具合などひと通り点検が必要。

(5)時差

 私も時差に悩まされた。06年は1Rが東京で2次Rから米国に移ってアナハイム、決勝Rはサンディエゴだった。米国に移動して試合まで約1週間あったが、これには個人差があるため各自対応は異なる。米到着当初は私も毎朝3時、4時に起床する日が続き苦しんだ。

(6)食事

 今では食事会場があるだろうが、06年当時は米国移動後、クオカード風のミールクーポン(1食100ドル)を渡され、レストランを探すサバイバル?な日々。終盤になって食事会場が設けられたが、序盤は夜中に渡辺俊介と2人で宿舎周辺を歩き回ってレストランを探す日もあった。

 (1)~(6)まで慣れしかない。侍ジャパンが世界一奪還ならドミニカ共和国に続く全勝優勝、伝説をつくってほしい。

 ◆里崎智也(さとざき・ともや)1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれ。鳴門工(現鳴門渦潮)-帝京大を経て98年にロッテを逆指名しドラフト2位で入団。06年第1回WBCでは優勝した王ジャパンの正捕手として活躍。08年北京五輪出場。06、07年ベストナインとゴールデングラブ賞。オールスター出場7度。05、09年盗塁阻止率リーグ1位。2014年のシーズン限りで引退。実働15年で通算1089試合、3476打数890安打(打率2割5分6厘)、108本塁打、458打点。現役時代は175センチ、94キロ。右投げ右打ち。

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「サトのガチ話」)