巨人OBで、コーチや寮長を歴任した武宮敏明氏が15日午後8時48分、都内の病院で急性膵炎(すいえん)のため亡くなったことが16日、球団から発表された。88歳だった。

 戦後の47年、巨人に入団した。52年に一線を退くと、選手登録のまま53年にコーチ兼寮長に就任し、82年までの長きにわたり寮長を務めた。当時、川崎の多摩川沿いにあった寮から、王、柴田、堀内、西本、原、篠塚ら多くのスター選手が羽ばたいていった。

 「鬼寮長」の異名を取った。元寮生が口をそろえるのは「大変、厳しい寮長だった」。門限破りの寮生には鉄拳も辞さなかった。あるとき、寮生の1人が門限の午後10時になっても帰ってこなかった。武宮寮長は全寮生を玄関に集め、その寮生が帰ってくるまで正座させたという。また、朝は必ず部屋の窓を開け、布団をたたんでから散歩に行くよう徹底させた。その間に各部屋をチェックして回り、片付いてなければ外出禁止を課した。

 厳しさは愛情の裏返しだった。プロの世界に飛び込んできた若者に対し、社会人として、巨人軍の一員として、どうあるべきかを教え込んだ。寮生の親代わりだった。厳しさの中にはユーモアもあった。寮生が全員でシャワーを浴びていたときのこと。シャンプーを流しているところに、また上からシャンプーをかけるような子供っぽいところがあったという。

 この日、熊本工の2年先輩でもある川上哲治・元巨人監督や、かつての寮生から多くの悔やみの言葉が寄せられた。常勝巨人軍を支えた立役者の1人だった。

 [2010年1月17日8時55分

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