広島石井琢朗内野手(42)が27日、今季限りでの引退を表明した。誕生日だった25日に球団と野村謙二郎監督(45)に決意を伝え、この日、広島市内のマツダスタジアムで会見を開いた。88年に投手で入団しながら、06年に2000安打を達成した。09年に広島に移籍。今季コーチを兼任し、精神、肉体の衰えから引退を決断した。球界最後のドラフト外入団選手が、24年間の波瀾(はらん)万丈だったプロ野球人生にピリオドを打つ。

 奮い立たなくなった。ベンチ裏のモニターで試合を観戦する石井はいつの間にか「ここに立ちたくねえな」と思うようになっていた。現役か、引退か-。自問自答を繰り返し、25日の誕生日に決断した。

 「ここ1カ月間はこれで良いのかなと、もう1人の自分と自問自答しながら出した今日、この決断なので。一時的な感情で決めたつもりでもないし、自分の中では納得しています」

 言葉を詰まらせたのは家族に話が及んだときだった。24秒の沈黙の後、かすれた声を振り絞った。「家族にこの話をするのが一番つらかった」。2人の娘には前日26日の試合後に伝えた。

 「もう少しカープでやってほしいと言われたのは、ちょっとつらかったです。パパがやめてもカープ応援するって言ってくれましたけど、うれしかった半面、つらかったです」

 昨オフに兼任コーチとして契約した時点で、今季中の引退が現実味を増したという。歯車が狂ったのはオープン戦3月6日巨人戦(マツダスタジアム)。中前打を放ったが、その前の自打球が右足甲を直撃した。

 「骨までいっちゃってたと思うんですけど、検査とか行って本当になんかあったら気持ちがなえてしまいそうだった。それが逆に悪い方に行ってしまった」

 24年の現役生活を支えてきた習慣のランニングメニューをこなせなくなった。開幕以降も打撃が振るわず、7月9日に登録を抹消されると、引退の文字が色濃くなっていった。

 チーム初のCSへ向け、残り33試合だ。今日28日から4位ヤクルトとの直接対決を控えた発表。「お前ら、頑張れよという意味を込めて」という石井なりのエールだ。広島移籍後、常々口にしていた「優勝したらやめる」の言葉。まだ有言実行のチャンスは残されている。【鎌田真一郎】

 ◆石井琢朗(いしい・たくろう)1970年(昭45)8月25日、栃木県佐野市生まれ。足利工2年の87年夏、甲子園に4番・投手で出場(初戦敗退)。88年ドラフト外で大洋入団。89年10月10日ヤクルト戦(神宮)に初先発し、投手として1勝したが、3年目の91年秋に首脳陣に直訴して野手転向。心機一転、本名の忠徳から、字画が良く、親しみやすい名前として改名。96年の大矢監督時代にサードからショートへコンバート。98年は横浜の38年ぶり日本一に貢献。最多安打2回、盗塁王4回。174センチ、78キロ。右投げ左打ち。01年にフジテレビアナウンサーだった詩織夫人と結婚。家族は夫人と2女。今季は野手コーチ兼任で推定年俸2700万円。