広島野村謙二郎監督(48)が8日、フェニックスリーグが行われている宮崎・日南市内で今季限りでの辞任を表明した。就任5年目をひと区切りと考え、チームづくりの役目を終えたとして、後任にバトンを渡す決断をした。来季に向けたチーム編成を遅らせたくないという配慮もあり、CSファーストステージ開幕3日前の電撃発表となった。30年ぶりの日本一を花道にする。

 心地よい朝の日差しを受けながら、野村監督は円陣を組んだナイン、スタッフに語りかけた。フェニックスリーグ、ロッテ戦の試合前。練習場の東光寺球場、その右翼芝生上だった。

 「今シーズン限りでユニホームを脱ぐ」

 CSファーストステージ開幕の3日前。来季のチーム編成を遅らせないための、苦渋のタイミングだったという。「僕自身は全部が終わってから、選手に迷惑をかけないようにと思っていたんですが…」。球団事情に配慮した結果、この日の表明を決断。マツダスタジアムで調整中の投手陣には、鈴木球団本部長を通して辞意が伝えられた。

 「今年1年やるにあたって(就任)5年目でケジメをつけようという中で始まった。僕の心の中でね」

 昨季は16年ぶりにAクラス進出。CSファイナルステージ敗退の翌日、松田オーナーに体調不良を理由に辞意を伝えたが「流れを止めてはいけないんじゃないか?」と説得された。あれから1年。「選手がすごく成長していくのを見てね」。若鯉の目覚ましい活躍に日々目を細め、一定の役割を果たしたと考えた。

 「順位がどうこうというのは関係ない。優勝していても多分、今年1年でというのは僕の中でも決めていたこと。ある程度、納得のいくチーム作りができたんじゃないかなと思います」

 09年オフ、12年連続Bクラスのチームを引き受けた。他球団との戦力差を埋めるため、長期的な視点で若手育成に力を入れた。同時に目先の勝利も求められる難題に立ち向かった。

 菊池に丸、我慢強く起用し続けた堂林…。今季は育て上げた若鯉軍団が底力をつけての2年連続3位。今が後任にバトンを渡す時だと決断。シーズン終了翌日の前日7日、松田オーナーに正式に辞意を伝え、了承された。チームは全日程終了後、後任を含めた新体制作りに着手する方針だ。

 野村監督にとっては、まだ30年ぶりの日本一奪取という大目標がある。「最後の最後まで、今までやってきた野球の集大成。しっかり指揮を執らせてもらう」。苦しみ抜いて、常勝軍団への礎を作った。最後はとびきりのご褒美が待っているかもしれない。【佐井陽介】

 ◆野村謙二郎(のむら・けんじろう)1966年(昭41)9月19日、大分県生まれ。佐伯鶴城-駒大を経て88年ドラフト1位で広島入団。95年に打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」達成。最多安打、盗塁王、ベストナインを各3度、ゴールデングラブ賞1度。05年に東都大学出身初の通算2000安打。同年に引退、10年から広島監督。