元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の突然の訃報は、関係者に驚きをもたらした。7月31日は岐阜市で夏巡業が始まったばかり。多くの関取衆は次の福井市(2日)に移動したばかりだった。部屋関係者によると、九重部屋の関取衆は通夜と葬儀・告別式が営まれる6、7日に帰京するが、それ以外は巡業に同行するという。

 大横綱であり現役親方の突然の訃報は、関係者に激震をもたらした。現役時代に千代の富士の猛稽古で横綱に上り詰めた八角理事長(元横綱北勝海)は「あまりにもショックで、コメントのしようがない」と、春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)を通じてコメントするのが精いっぱいだった。

 尾車事業部長(元大関琴風)は幕内対戦6勝22敗だった“戦友”との現役時代を振り返った。「初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても巡業にいてもいつも胸を合わせました。右手の指が裂ける大けがも気がつかないほどでした。鋭い当たりから中に入って左前まわしを取られたら体が浮いてしまい、つま先立ちの状態になるほどでした。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです」と悼んだ。

 夏巡業が始まったこの日、休場した幕内千代の国と十両千代皇を除く部屋の関取衆は福井市へ移動中に訃報に接した。十両千代翔馬は「連絡があったばかりで詳しいことは全然分からない」と悲しんだ。部屋関係者によると、6、7日に通夜と葬儀・告別式が営まれ、幕内千代鳳ら巡業参加組も、貴乃花巡業部長(元横綱)の許可を得て帰京し、列席する。ただ、それ以外は巡業に同行するという。玉ノ井巡業部副部長(元大関栃東)は巡業での追悼などについて「大横綱ですから、いろいろ相談して何かできることを、巡業でもやりたい」と話した。

 「小さな大横綱」の名は海を渡ったモンゴルでも有名だった。関係者によると、横綱白鵬は岐阜巡業後に訃報を知り、驚いていたという。横綱日馬富士には模範となる大先輩だった。

 「びっくりして言葉が出ない。鳥肌が立っています。大好きな、大好きな方だった。あの方の相撲を見て勇気をもらっていた。体が小さいなら、こういう相撲を取ればいいんだと、強い気持ちにさせてくれた。よくかわいがってもらいました。還暦土俵入りで露払いをさせていただいたことが心に残っています。今でも千代の富士関のDVDは車の中で見ています」

 都内の部屋には多くの報道陣が殺到し、警察官も巡回に出た。佐ノ山親方(元大関千代大海)は「オヤジの最後を、盛大に書いてやってほしい」と頼んだ。