俳優今井雅之さんが28日午前3時5分、大腸がんのため、都内の病院で死去した。54歳だった。先月30日に行った会見で、舞台降板とステージ4の大腸がんと告白していた。復帰を目指して治療に取り組んでいたが、最近になって容体が急変。親族らに見守られて旅立った。この日夜までに故郷の兵庫県豊岡市に運ばれた。通夜と葬儀は近親者だけの密葬で行い、後日、お別れの会を行う。

 末期がんを公表した主演舞台「THE WINDS OF GOD」の降板会見からわずか28日。今井さんが目指した復帰の夢はかなわなかった。

 豊岡市内の斎場に到着した今井さんと対面した兄の裕之さん(56)によると、約2週間前に容体が悪化し「5月いっぱいは持たないかも知れない」と伝えられたという。27日に予断を許さない状態となり、妻や兵庫から駆けつけた姉、自衛官時代の先輩らにみとられて静かに息を引き取ったという。今井さんはこの日昼過ぎに病院を出て、夜に豊岡市内の斎場に到着した。裕之さんは「安らかな顔でしたが、悔しさもにじんでいました」と話した。生前に「今井家の墓に入れてくれ」と話していたという。母の恵子さんは「こんなに早く亡くなるとは思わなかった」と憔悴(しょうすい)した表情で話した。

 亡くなった28日は、TOKYO MXのレギュラー番組「バラいろダンディ」(月~金曜午後9時)に生出演予定だったが、今井さんは26日時点で同局に欠席を伝えていた。今月7日の同番組出演が最後の仕事となった。

 先月30日の会見で、やせ細った体とかすれた声で病状を説明した。昨年夏に都内の病院で風邪と診断されたが、同11月中旬、兵庫・西宮市の病院でステージ4の大腸がんと判明。複数の腫瘍が見つかり、同11月下旬に横浜市内の病院で手術を受け、抗がん剤治療を開始。治療は2週間に1度のペースで、4種類の抗がん剤を2種類ずつ組み合わせる形で行っていた。

 会見では転移について「可能性大です。影が見えています」と死への恐怖を押し隠すように語った。しかし、友人の梅沢富美男によると昨年秋、今井さんから肺への転移を聞いていたという。「見つかった時、既に肺などいろんなところに転移していて、星空みたいにがん細胞が、うっすらとたくさんあると言っていた。治療も苦しい、もうやめたいと言ってました」。

 今月5日、降板した主演舞台の東京公演開演前、「この舞台に役者として立ちたかった。役者人生を充実できるようにがんと闘う」とあいさつ。東京公演の全5日間、劇場に通いあいさつしたが、その後の大阪、京都、兵庫公演に赴くことはかなわず、治療に専念せざるを得ない状態だった。

 舞台千秋楽の沖縄公演は今月31日。特攻隊と平和をテーマにした作品だけに、激戦地だった沖縄には「どうしても行きたい」とこだわった。「自分にとっては義務というより、何か人生の任務みたいなものと感じている」とも話していた。秋には主演映画「手をつないでかえろうよ」の撮影も控えていた。4月の会見では「秋までは寿命を持たせて」と祈るように語っていた。最後まで復帰の希望を捨てず、がんと闘い続けた。

 ◆今井雅之(いまい・まさゆき)1961年(昭36)4月21日、兵庫県生まれ。陸上自衛隊を経て、86年法大文学部卒業。同年に舞台「MONKEY」で俳優デビュー。91年の舞台「THE WINDS OF GOD」で文化庁主催芸術祭の原作・脚本・演技の3賞を受賞。同舞台を92、93、95、98、99年にニューヨークで公演。95年の映画「静かな生活」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞。ドラマは93年NHK連続テレビ小説「ええにょぼ」、94年大河ドラマ「花の乱」などに出演。178センチ。血液型O。

 ◆「THE WINDS OF GOD」 海外ミュージカルが人気だった時に「日本人の作品で日本人として堂々と演じられる役をやりたい」という今井さんが、子供のころから興味があった神風特攻隊について取材を重ね、原作・脚本・主演を務めた舞台。お笑いコンビが交通事故を起こし、タイムスリップして日本の特攻隊員となる物語。88年初演。91年以降はほぼ毎年のように公演。ニューヨークやロンドンなど海外でも上演。05年に山口智充(46)主演でテレビ朝日系でドラマ化され、95、06年と2度映画化もされた。95年に小説も出版された。