老衰のため10日に亡くなった森繁久弥さん(享年96)の次男建(たつる)さん(66)が11日午後、都内で会見し、この日午前中に都内の斎場で荼毘(だび)に付したことを明かした。親族だけの密葬を営み「紋付きはかまの正装で立派ないい顔でした」と語った。最期の様子は「管だらけにならず、自力で力の限り最期までいた」と、眠るように旅立ったという。また、親交の深かった女優森光子(89)と黒柳徹子(76)がそれぞれ都内で会見を行い、森繁さんの思い出を語った。

 森繁さんは家族に囲まれ、父として、祖父として旅立ったという。建さんは「長い間、俳優森繁久弥が九十数%でしたので、最期は私たちの父として送ってあげたいと思いました」と涙を流した。

 森繁さんが偉大な俳優であっても、家族は、常に父としての意識しか持たなかったという。亡くなった10日夜は仕事関係者は一切加わることなく、親族だけで通夜のような「お別れの会」を行い、この日午前に密葬の形で荼毘(だび)に付された。森繁さんは生前、「こぢんまりやれ」と話していたという。

 建さんは「紋付きはかまの正装で、立派ないい顔でした」と涙ながら、静かに眠る森繁さんの様子を紹介した。ひつぎには森繁さんの妻と母の写真、孫たちの折り紙を納めたという。別れの言葉は「楽しかった」と声をかけたという。

 危篤状態になったのは亡くなる前日9日午後だった。建さんは「管だらけになることなく、自力で力の限り最期まで生きたことが一番うれしかった。おだやかに眠ったと思う」と説明した。家族みんなが集まり、見守る中で旅立ったという。建さんは「神様からいただいた寿命をきっちり使い果たしたと思う」と語った。

 森繁さんは7月22日、肺炎の疑いで都内に入院し、その後は自宅に帰ることはなかった。有名人のため、自由に外に出ることも難しかった。一方で「看護師さんと仲良くし、わがままを言ったりしていた」と、森繁さんらしい一面を語った。4日には入院していた病院の階下の産科で9人目のひ孫も生まれたという。孫も8人おり、誰が誰だか分からず、全員を「ちび」と呼んでいたという。

 建さんは「どんな人にも頭を下げ、必ず『ありがとう』と言う。勉強になりました。昔の再放送を見ようと言っても『もう終わった』と潔かった」と思い出を語った。芸能界の大きな父は、家族にとってもいい父だった。

 仕事関係者やファンとのお別れ会は後日、行われる予定だ。

 [2009年11月12日8時51分

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